ひとりごと

つきみおが長文でひとりごとを言います

日記(もや)

4/8
月曜日なのに嘘みたいに疲れていた。最近ずっと疲れてるのでは。というか、人生の大半は疲れていて、生きるということが疲労感との戦いであるような気がする。それでも会社に行けばやりたくなくて仕方ない仕事などもなんとか片付けることができるので、場所に身を置くというのはとても大切なことだ。今日は評価面談があって、自分で思っていたよりも少しよい評価をもらえたのが嬉しかった。ま、新卒2年目で同じ仕事してる先輩誰もいなくなって人が補充されない中で2人の退職休職者の仕事まで巻き取りながら働いてたんだから多少は評価してもらわないと困るけど。面談で話していると、もっとできるかもという気持ちになり、いざ仕事に戻るともう全然できない向いてない辞めたいと思い、その間を反復横跳びしながらギリギリバランスをとっている。落ち込んでばかりだけど、少しでも自分のいる場所に納得して頑張ろうと思えることが増えていけばいいなと思う。
昨日の夜はメンタルがやばくて、美術館でハッピーな時間を過ごしたという日記を書いていたのにその楽しげな文章がシームレスにド鬱に急転落していってしまい、これはいけないと思い公開しなかったのだけど(そういう自己検閲の意識はある)、一晩経って読み返してみたらあまりにもみるみるうちに鬱に沈んでいくので面白かった。
いつからか、ずっとうっすらとした憂鬱の靄の中で生きている。ひとりでいるとその靄の密度が増してしまうことはわかっているのだけど、人と過ごしたあとひとり靄の中に戻るときの、その境界に存在する圧力と温度差の大きさをおそろしいと思う。スピッツは靄の中にいる。靄の中にいて、境目にかかる抵抗がないから、安心して触れることができるのだ。それはきっと、「スピッツ」が人間ではなくて音楽だからできることなんだろう。
人間に関して言えば、誰かが憂鬱の靄に分け入って来て欲しいと思ったこともあったし、そして実際にそうしようとしてくれた人もいたけれど、多分、私に必要なのは、靄の外から私を笑ってくれる人なのだと思う。私の人生には、私のことを笑ってくれる人がいてほしい。靄の外から、靄ごと面白いと笑ってもらうことでしか、靄の存在を相対化できない。