ひとりごと

つきみおが長文でひとりごとを言います

2/29
最近、何を書いてもすごくネガティヴになってしまって、ネガティヴを言葉にして外に出すことにすら疲れてしまう。人にネガティヴを吐き出して慰めてもらうのを期待していいような年齢なんかとうに超えていて、うまく生きられないのは自分の責任なんだから自分の責任で一人で勝手に脱落してね、人に迷惑をかけずに、というフェーズに入ったんだろうなと思う。多分もうこれからもずっと、上手く生きられないんだ。

日記(つながらない話)

2/19

 

つながらない話をします。


ここのところ、嘘か本当かよくわからない「発達障害者は精神年齢が実年齢の2/3」という説を繰り返し反芻している。自分が発達障害かどうかということはもはやどうでもよいのだが、確かに自分は精神的に幼いんだろうなあということはよく思う。よく思うが、じゃあ大人になれるのかというとそうではなくて、仕方ないので幼い自分のことを自罰して少なくとも幼いということに自覚的でいるだけマシですよねという体を装っている。「発達障害者は精神年齢が実年齢の2/3である」という何重にも攻撃的な言説は、自分で自分に刻み込む自罰の道具として程よいと思う。自己嫌悪も自己懲罰もそれらによる自己擁護も、すべて自己満足だ。
 
本を読んでいて、今よりもさらに幼かった数年前に、選択をする罪悪感に耐えられないという旨の文章を書いたことをふと思い出した。私が惹かれる(広義の)思想に共通するのは、「選択しがたいものを選択する」ことについて誠実であるということだと思う。それらは切り捨てがたいものを切り捨てることに敏感で、その摂理を避けることの不可能性を誤魔化さず、かといって選択することの罪深さや不完全さを忘れることもなく、その狭間で苦しみながら倫理的であろうともがいている。
 
仕事上で、「女性的なもの」について議論(?)する機会があった(どんな仕事だよ)。「女性」として括られること、その特徴について語られることに強烈な違和感を感じながら、そんなものは存在しないと言われることにも同じくらい強烈な違和感を感じた。私は安易な女性性の再生産をしたいとは全く思わないが、自らの意思によって女性でありたいと思う。私がどうこうということはさておき、こういうようなことについて、私なりに言葉にしてみたけれど、「頑張って話してるね」という哀れみと蔑みとで白けた空気になっていたと思う。この手の話を言語化するには確かに私の知識と技法は不足していたけれど、言葉にして訴えることに虚しさを感じていた。このことに限らず、私は言葉にしないと落ち着かない質だから色んなことを言葉にしようとしてしまうけれど、それを他者に向かって放ることに虚しさを感じている。虚空に消えていく自分の言葉を見ていると、自分の無価値さを感じてしまう。

日記(愚痴、縄張、スピッツ)

2/17
今週、普通に疲れた。仕事でダメなことできないことがじわじわと実感されて、嫌だなあだけどもう私はここから離れても何もできないんだろうなあと足をもがれていくような気持ちになっている。業務量がおかしいのか仕事の進め方が下手なのかわからないけど仕事が全然終わらなくて、だけど残業するとそのことを咎められて、もう嫌だなあと思うけど、どこの職場に行ったって嫌だなあと思うことはあるんだろう。でも最近退職した人これから退職する人と話すことがちょくちょくあって、本当に私の人生、これからもここにいていいのかな?とか思ったりしている。よくわかんない、自分は無力で無能だということを毎日刷り込まれ続けて何も考えられなくなっているような気がする。まあ無力で無能なのは事実だけど。
疲れたなりに頑張っているので、今日はここのところよくチャットをしていたベルギーの人とランチをしてきた。さすがにこんだけ一応毎日フランス語を書いているので前よりも口からフランス語が出てきやすくなった気もするけど、普通にボキャ貧すぎてだめだわ…。現職を離れられない理由の一つがこのお金をもらいながらビジネス英語とフランス語を鍛えられる(鍛えられてるのか?)というラッキーな環境だと思う。こんな低レベルの語学力なのに仕事で外国語を使わせてもらえているのは普通にラッキーである。よそじゃ採用すらされないだろう。まあそんな下手くそ採用してるからいつまで経っても人手不足なのだろうが。ランチは大学時代に行ったことのある和食屋さんで食べた。めちゃくちゃに美味しいというわけではないけど、ボリュームと見た目の高級感、店の立地と雰囲気の割にお手軽な値段で、結構好きなお店。使いやすい。その後ぶらぶら散策していたら桜の食品を集めたコーナーがあり、そこで「桜正宗」というピンクの日本酒を見つけた。結局さくらくず湯に惹かれてしまい桜正宗は買わなかったのだけど、なんだか嬉しくてふわふわした。そういえば昔バイト先で菊正宗というお酒を定番としてよく出していたけど、当時からスピッツ好きだったら大変だっただろうな。マ、マサムネ…マサムネのことが好きなんだ…。帰り道、乗り換えの駅で電車を降りたらまさにその降りたドアの目の前で弊社を退職した人が電車を待っており、お互いに目をまんまるくしてしまった。すごい偶然。これは…転職しろっていう天のお告げか?
帰宅して、夕飯を食べながらニューミッケのライブ映像を鑑賞した。スピッツのことが好きすぎて、毎回好きすぎて泣く。スピッツを知らなかった自分からスピッツを知った自分になれたという事実が大切すぎて、うれしすぎて、そのエネルギーだけで立っていられる気がする。これからのことはさておき、少なくともこれまでの人生において私がうっすらと求め続けていた救いのようなものはスピッツによって与えられてしまったので、その意味で私は明らかに人生におけるひとつの「ハッピーエンド」に到達してしまったと思われる。自分のことは嫌いなままだし依然として何かが欠けていると思いながら生きているけど、そのことがそのままスピッツを聴く要件になっているというか、そういう自分の中の様々な凝りや捩れや欠落や黒ずみにスピッツという裏面が与えられて、世界がぐるりとひっくり返されたようなのだ。だから、私はスピッツの音楽のことを、どちらかというと他ではなく自として認識してしまっているところがあると思う。たまに、この音楽を作り奏でているのがスピッツという他者であることに驚いてしまう。他者の中に自分がいるということに、安心したり動揺したりする。本当は逆で、自分の中に他者がいるのかもしれないけれど。

日記(疲れた夜の過ごし方)

2/14
なんだか疲れたなあと思うとき、会社から家までの道をとてもゆっくりと歩く。電車に乗っている間、目線のピントを合わせないように床をながめる。すごく疲れた、なんでこんなにだめなんだろう、もうなんかむりだ、私なんかいたってしかたないのに、と思いながらできるだけどんよりゆっくり帰路を辿って、家に着いて、しばらく電気ストーブの前に座り込んでから、シャワーを浴びる。そうすると、体の疲労はさておき、心の疲労は半分くらいに減るのである。
夕ご飯を食べて、ミニマムなスピッツを聴く。ミニマムというのは、ほかの何に対してでもなく、私のためだけにあるスピッツということで、まあ本当はそんなもの存在しない、つまるところライブ映像ではなく純粋な音源のことである。いつもは疲れた日にはライブ映像を観るのだけれど、たまに、ライブ映像を観るとさびしくなってしまうことがあると気がついた(今日、気がついた)。はは、この歳になってもすごいメンヘラ。はずかしいね。

日記(三連休をふりかえる)

2/12
土曜日、皮膚科を受診後アイシャドウを買いに行った。行っている病院は皮膚科だけではなく内科も診てくれるので、最近頻発する不整脈の相談もしようと思ったけど、午前のみ診療の土曜日は激混みで、申し訳なくて言い出せなかった。まあ昔から不整脈はあるし、別にただのストレス?とかそういうのだと思うし、大丈夫。痛くなったりしないし。アイシャドウは結局セルヴォークにしてしまった。色々見たのに、結局ダントツで心が躍ったのはセルヴォークだった。すごくかわいい。こんなエモーショナルなピンクアイシャドウが存在することに感謝しかない。もういいや、全部セルヴォークで。好きだもん。帰りに、なんだか美味しそうな韓国料理のお弁当も買って帰った。
日曜日は部屋のお片付けをして、滞っていた返信もすませた。夕方からは姉が泊まりにきた。最近よく泊まりすぎてるからお礼ということで、居酒屋で奢ってもらった。久しぶりにプライベートで人とお酒を飲んだ。楽しかった。満腹中枢がバグって、麻婆豆腐と小籠包をスーパーで買いこみ家で一緒に食べた。三連休っていいなあ。
三連休最終日。昨日の夕飯で胃もたれしたのか、調子が悪かったので午前中は寝ていた。12時ちょっと前から起き出して、友達からの手紙に返信を書きながらロック大陸を聴いた。毛玉を取ると毛量が減るという草野さんの気持ちはわかるけど、毛玉は資源だからそっとしておく、というのはちょっとあまり聞いたことがないなと思った。手紙の返信を書いてスーパーに買い物に行って、ちょっとスマホで漫画を巡回したあとは、久しぶりに時間を取って本を読んだ。途中でいちごとファミマのショコラケーキをおやつに食した。ファミマのショコラケーキ、マジでめちゃくちゃ美味しいからみんな食べたほうがいい。

クソ長遠征記(セトリ全バレ/16000字ある)

2/6〜2/7 スピッツひみつスタジオ三重公演遠征記録

 

前日
前日は数年に一度レベルの積雪。会社では早めの退社を促されて、人生初の在宅勤務をした。嬉しくなっておやつを買って帰った。ライブ前に残業するハメにならなくてよかった。

 

1日目

今回はホテルと新幹線を別々に取り、CD列に並ぶつもりもなく明確な到着時間の希望もなかったので、新幹線のチケットを取るのを先延ばしにしていたところ、いつのまにか早期割が終わっていた。しかたがないので平日だし待てば絶対座れるだろうと踏んで、全行程を自由席で行くことにしたのだけど、結論から言って、これは正解だった。何時の新幹線に乗ってもいいから急がなくていいし、自由席は普通に窓際に座れるし(発車の1分前に駆け込んだけど)、乗り継ぎだから予定通りに乗れないかも知れなかったし、快速みえはちいさなかわいい空き空きの電車だったので指定席など全く不要だった。呑気に家を出て呑気に朝ごはんを買い、新幹線に乗り込んで出発。道中では、新横浜が案外竹林だらけなことに驚いたり、遠くに見える海にワクワクしたりした。浜松のあたりの海なのか浜名湖なのかわからない何かの水がとても深くて綺麗なエメラルドグリーンだったのが印象に残っている。錯覚かもしれないけど、のぞみはいつもの新幹線より速いような気がして怖かった。ちなみに朝ごはんは、新幹線で飲もうかなと思っていたオペラフラペチーノが売り切れていたので紀伊國屋でサンドウィッチとベーグルを買ったのだけど、このゴミの袋の中に新幹線の紙切符を入れたままにしてあったため、新幹線を降りたときあやうく切符ごと捨てる所だった。なんとなく心配になってゴミ袋の中を確認してよかった…。

名古屋に着いてからは、快速みえに乗り換えた。快速で指定席もあるから特急あずさみたいなやつをイメージしていたのに、ホームに着いてみるとそこにあったのはちまっとしたかわいらしい二両編成の電車だった。中に入ると「四日市以降はICカードをご利用いただけないので、ICカードで乗った人は車掌に声をかけて現金精算してください」というアナウンスが流れていて(というか車掌さんがアナウンスしていて)、これは…長野の香り…!ボックス席の窓際に座って出発。電車がごおおお〜!と音を立てるので「おっ加速するか!」と思いきや、全く加速しない。音の勢いに速さの勢いが全く比例していない。住宅街の中をごおおお〜!といいながらのんびりと走っていく。窓の外に、古いおうち、新しいおうち、早咲きの桃の花、たわわに実った柑橘(なぜいま)、ジェットコースターなどが見える。四日市のあたりからはやはり工場が多かったけど、私の側には海が見えて、反対側には長野みたいな連なる山が見えて、三重には海も山もあるのねと思った。
いつもはずっとイヤホンをつけてスピッツを聴いているけど、初めての土地の雰囲気をちゃんと味わいたくて、何も聞かずに車窓を眺めているうちに津駅に到着。思ったよりも小さい駅で、サーティワンミスド吉野家、マツキヨなどが入った駅ビルが併設していた。運賃の精算のために並んでいたら、前の方がベルゲンのトートバッグを持っていた。あなたも三重までスピッツに会いに来たのね。でもICOCAをお持ちだから割と近郊からいらしたのね…。小さい駅だったので駅前のホテルもかなり駅から近くて(というかほぼ駅で)、一旦荷物を預けて会場に向かうことにしたのだけど、三重文化会館が会場だというのでなんも考えずに「三重会館」と書かれたバスに乗ったら、全くの反対方向に連れて行かれてしまった。三重会館は三重文化会館とは別物であった。ハハ、バカすぎる。なんかこのままバスでとんぼ返りするのもなんだし、そもそもバスも全然来なそうだし、まあせっかくだしなと思って30分くらい歩いて駅まで戻ることにした。風が強くて非常に寒かった。途中、蜂蜜まん本舗なるお店があり、なんだか有名ならしかったのでひとつ買ってみた。70円だった。もっちりしたどら焼きみたいな皮にねっとりしっとりのあんこ、甘くて懐かしい味がした。何よりあたたかいのがありがたかった。風が寒かったので。どんどん歩いていくと、四天王寺なるお寺が現れたので、ちょっと中に入ってみると、入ってすぐのところに「土俵人生がぶり寄り」という石碑が置かれていた。土俵人生?がぶり寄り?と思って近寄ってみると、尾車親方(琴風)の石碑だった。偶然ってすごいね。こんなところで力士の石碑に遭遇するとは。歩きながら、そういえば新潟に行った時も二日目に観光する場所を思いつかなくて、せっかく海があるから海に行って高いところから海を見ようとひたすら1時間くらいただの市街地および住宅街を歩き続けたことを思い出した。結局おそらくは観光地でもなんでもない高台から海を眺めて、帰り道にたまたま通りかかった美術館とギャラリーに立ち寄って新潟の旅は終了したのだった。観光するのがとても下手くそならしい。だけど、別に何を見るわけでもないんだけど、知らない街をただ徘徊するのは私的には結構とても楽しいことなのだ。まあ今回は徘徊するつもりで徘徊したわけではないんだけど。
ホテルに戻る頃にはチェックインができる時間になっていたので、チェックインを済ませた。枕を自分で選んで持っていけるホテルで、私は枕がすごく好きなので「二個とか三個とか、持っていってもいいんですか」と聞いてしまった。いいですよ、と言ってもらった。枕に埋もれて眠ろうと思う。部屋でメイクなどを直しているうちに、バスの時間がギリギリになってしまい、あわてて駅に戻ったけれど、どうやら本当の文化会館行きのバスは駅の反対側から出ているらしく、私はそんなこと知らないので、大慌てで、どこ?どこ?と走り回って、出発の寸前にやっとバスを発見し乗り込むことができた。なんか今回、めちゃくちゃ準備が悪い。だけど準備が悪い旅行って結構楽しい。一人だからね。一人で旅行すると、よくわからないまわり道とか、大慌てとか、ぼんやりとかが全部「まあなんとかなったし楽しいからいっか」ですませられるので、よい。
今度こそ会場にちゃんと着いて、CD列にとりあえず並ぶ。サイン色紙は新潟の時に始発凸して一番にもらったからもういいかなと思っていたけど、なんかもらえるならもらいたくなってしまって、だけどもうひみつスタジオ持ってるし…テープ買う?レコードは再生機器持ってるけど、こんなところで買って無事に持ち帰られるのかわかんないな、と悩んでいたら、幸い(?)私よりも前の時点でサイン色紙は売り切れてくれた。安心して『名前をつけてやる』を購入した。今回、新潟では『オーロラになれなかった人のために』、Kアリでは『空の飛び方』、武道館では『醒めない』を購入して、CDコレクションがだいぶ充実した。ツアートラックを見に行って、とりあえずライブ前にやりたいことは終わり。そういえばこの会場は私が中三の時吹奏楽部の東海大会で演奏した会場で、全国に行けなかった結構思い出深い場所なのだけど、今回来てみたらほとんど全く覚えていなかった。そりゃ、もう15年近く前のことだもんね。だけど、15年前にステージから見た景色は本当によく覚えていて、床の色の感じとか、あの曲のあの部分で…みたいなことも昨日のことのように思い出せる。いいのか悪いのかよくわからない部活の記憶だけど、懐かしいな。あの会場で今日私の一番大事なアーティストが演奏してくれて、私がそれを聴けるんだなと思うと感慨深いものがある。というようなことを会場一階のChillスペースに腰掛けながら思っているうちに17 :42である。なお、家を出たのは9 :30、名古屋に着いたのは12 :16、三重に着いたのは13時過ぎ、会場到着は15 :45ごろだった。最後のひみつスタジオが始まってしまう…三重公演が延期になって会社のビルのロビーで号泣したな。なんであんなに泣いたのかわかんないけど。あれから結果的に行ける日程に振替が決まって、でも行けるかわかんなかった時に「もう一回絶対会いたい」と思って武道館に申し込んで当たって、Kアリにも連れて行っていただけて、2月までスピッツに会う約束を持っていられるなんて、幸せだった。4回も会えた。最初は1回で十分かなと思っていたのに。
 
ライブ
今回の席は2階1列目のほぼセンター。多分、去年宝くじ買ってたら1000万くらい当たったんじゃないかというくじ運の良さだった。2階か〜と思ったけど、この席、アリーナ9列目センターと同じくらいの私の中では良席だった。目の前には何も遮るものがないし、程よくスピッツみんなの顔がわかりつつもステージ全体が見渡せて、立ちにくいけど代わりに座ったまま手すりに凭れたりしながらお家でライブ円盤観てる時くらい好きなようにリラックスしたり盛り上がったりできて。ゆっくりな曲はやっぱり立って動くんじゃなくて座ってうっとり聴きたいから、その願いも叶って、まるで特別来賓席みたいな気分で観ることができた。そして、ちょっと気付いたんだけど、もしかすると前の方より後ろの正面の方(Kアリと今回)の方が感動するかも…Kアリの時は限界精神だったからスピッツ出てきて号泣したの無理ないけど、今回もスピッツ出てきた時ぶわーってなった。割と元気なのに。ライブ始まる前はこれまでの反省からとにかく集中したくて、目を閉じたりなどしており、やや挙動不審だったかもしれない。スピッツを初めて知った時から今日までのことを思い出したりもしていた。
照明が落ちて歓声が漣のように広がって、ライブが始まった。セトリはホール公演版で、新潟と重複も多かったから最初の方は順当な感じ。順当な感じなのに普通にときめきPart1と跳べでKアリの時と同じくらい泣いてたけど。ホールでやると、てっちゃんと田村さんがなんか「双璧!」って感じになる時あって、跳べとかはめちゃくちゃそれを感じた。みそかは赤の照明がめちゃくちゃ映えて、普段あんまり聴かない方の曲だから新潟の時は戸惑ったけど今回はちゃんとノリながら聴けた。新潟の時って、まだスピッツのライブに行くの人生で2回目だったんだもんなあ…。今回は5回目のライブで結構慣れてきて、こうやってだんだん楽しみ方が掴めたらいいな。とかなんとか思ってたらさあ、なんかさあ、なんかさあ、なんかさあ、そんな、なんか、突然さあ、フェイクファーがさあ…フェイクファーがさあ…フェイクファーが……フェイクファーが…………。初めの方で特に感極まってたのもあるとは思うし、普通にこんなライブで情緒乱しててキモいオタクすぎるんだけど、フェイクファー始まったとき嗚咽してしまって、音出さないように必死だった。フェイクファーという曲があまりにも好き。あまりにも好きっていうか、あまりにも私が思う「スピッツ」の全てが詰まっているというか、いや全てじゃないんだけど、一曲だけあなたにとっての「スピッツ」を挙げてくださいって言われたら私はこの曲を挙げると決めてるんだ。まあそんなこと言われることはないんだけどさ。いや待てよ私が言えばいいのか。みんなにとっての「スピッツ」渾身の答え聞きたいわ。フェイクファーって、あんな繊細なギターから始まってあんな繊細で柔らかくて壊れやすい歌詞なのに、音がハードというか、すごくざらざらしているのがとても好きで。こんなふうに表現していいんだって衝撃で。フェイクファーについて語ってたら永遠に先に進まないからやめるけど。ここでMCが入ったので、一旦我に帰る。お待たせしてしまいましたね、とはじまる。お待ちしてたけど、全然…全然…2月で全然よかったと思ってるよ…!!元気に帰ってきてくれてありがとう…!!今日ははちみつ饅頭で動いてるんだと。マサムネさん、あのね、私もはちみつ饅頭を食べました。
さびしくなかったは新潟の時も照明が綺麗だと思ったけど、上から見ると格別だね。美しい鰭は青い照明がポップな時にはかっこよくて、静かなサビの時には凪いだ海みたい。高音、マサムネさんが出すと全然高音に聴こえないのすごい。ここまで結構照明で客席とステージを繋ぐような演出だったのが、讃歌では舞台ぽいというか、これはみんなの歌じゃなくて一人の歌なんだ、とわかるような演出になったのがよかった。あとどうでもいいけど多分「白い暗闇」のところ「黒い暗闇」って歌っとったと思う(そういうどうでもいいところだけ記憶してしまう)。
ここでまたMC。津でけもの道やるときなんて歌えばいいんだろうと思いつつ、津の日の出を画像検索したりし(そんな画像出てくるとは思えないが)、綺麗だな〜!と気持ちを高め、スリランカの首都スリジャナワルダナプラコッテでやったらなんて歌えばいいかな?というMCまで考えてきたのに、今日のセトリに入ってねえじゃん!でももったいないから今話しました、だそう。素で歌う歌が上手いんよな…ていうかスリジャナワルダナプラコッテでやったらどうすればいいんだろうと思って、これおもろいな、MCで話そ、と思ったマサムネさんが過去のどこかの時点で存在してたのじわじわくる。スリランカでやる前に日本を隅々まで周ろう、というてっちゃん…一生好き…。
大好物はMCから自然な流れですぐに始まって、運命の人では最初演奏ない田村さんが後ろで水飲んだりしてて、さきちゃんがスティックぐるぐるしてて大変かわいらしかった。さきちゃんが入るとスポットライトがさきちゃんにあたって、「さあみんな!さきちゃんが叩きますよ!さきちゃんです!」ってなるの可愛すぎて好き。未来未来、ライブでやるの好きすぎる〜新潟の時からずっと好き。全パートちゃんと歌うから、フレーズの終わりがものすごく短くなるところがあるんだけど、それがめっちゃライブっぽくていい。優しいあの子、ライブでやると圧がしっかりのっていいなあ。朝ドラの1番しか知らない人、2番の歌詞とかっこよくて優しくて明るくて切ないてっちゃんのソロとか知らないのもったいないぞ、んふふ、とか思いながら聴いていた、キモオタの仕草。
ここでMC。8月やるはずだったけど、ツアーを経てMCが変わってってるから、その時とは別のMCネタがあって、その一つが人の歌って話。きらり歌ったあとで、でも他の人の歌やるとみんな盛り上がっちゃうじゃん?だから半分スピッツ、半分人の歌にすることにしたのって。今回は平井堅の瞳を閉じてにロビンソンを乗せて歌ってくれた。こぶしまで真似して…歌上手いんだよな…。それで、本物のスピッツも聴いてねってロビンソンをやってくれた。i-Oはひみすたが発売されてドキドキしながら聴いた時のこと思い出してうるうるした。チェリー、途中マイクが少しキーンとなったけど動じずに演奏してくれた。当たり前か。おばけのロックバンド、新潟で聴いた時はあんなに緊張してたのに…田村さんなんて、カメラもないのにファンサしてくれるようになって…成長したね…欲を言うと3人の声がもう少し楽器に埋もれないような音響だったら嬉しかったけど、もう…好き。4人の声もちゃんと混ざるようになったね。8823がはじまったときは「やだ!終わらないで!」って気持ちとテンション爆上げな気持ちであああ〜となってしまった。シンバル止めるさきちゃん好きすぎるんだよね。ここまで座りながら手振り上げてノッたりしてたんだけど、8823でめちゃくちゃノッてるときにふと、隣のご婦人方にこの振動全部行ってるんじゃ…ただでさえフェイクファーのところで明らかに呼吸狂って鼻啜ったりして挙動不審なのに、椅子まで揺らされて…って思われてるんじゃ…と不安になる。ごめん、でも振り続けた。振らないほうがよかったのかな…わからない。ホールのセトリで不死身のビーナスやってくれることは知ってたけど、もう一回聴けてめちゃくちゃ嬉しかった。不死身のビーナス、去年の夏くらいにめちゃくちゃハマって鬼リピしていた。Kアリで聴けた時、嬉しかったなあ…。アカペラになるところ、映像化してほしい…。前も言った気がするけど、最後の一番盛り上がるところで「不死身のビーナス ネズミの街 さびしい目で遠くを見てた」って一番かなしげな歌詞になるところがめちゃくちゃスピッツって感じする。一番幸せな瞬間がそのまま同時に虚しさやさびしさの瞬間でもある、というのがスピッツ的だなと思っている。醒めないはこれで3回聴けたことになる。この曲最後にやってくれるとめちゃくちゃ安心感あるな。また会えるって思わせてくれる。ここで一度終了。
アンコール、手前にパーカッションを何か用意しているのが見えたからPやってくれるのかな?と思ったら、ジュテーム?が始まって死ぬほど驚いてしまった。ジュテーム?を生で聴ける令和…えぇ…。歌ももちろんいいんだけど、とにかく二胡パートをギターでやるてっちゃんのセクシーさというか…伸ばしが主体の二胡のパートを、はじくのが主体のギターでやるから、ちょっとこう、無骨さというか辿々しさみたいなのがあるんだけど、それがむしろジュテーム?の浮気する器用さもないまま浮気してる弱々しくて頼りない男の雰囲気によく合っていて、とてもよかった。ジュテーム?、ジャンデラの中にしか生息していない曲だと思ってた。ここで聴けるとは。メンバー紹介MC、田村さんが話し出したのにマサムネさんが「津ってさあ…」て自分の番みたいに話始めておもろかった。愛のしるしを弾いてくれたんだけど、2024にやっても古いか…って去年あたりTikTokでよく使われてたことを引きあいに出したら、スピッツの曲はいつでも新しいから…とマサムネさんからツッコミが入った。黄色いジャケットを着てきてくれて、それに対してマサムネさんの「似合うとるよ」、へ?関西弁?博多弁?デレるな。くーじーは友達が「つ」という名前の猫を飼っているお話をしてくれた。あとは他のメンバーと違ってくーじーは当日入りだったから雪で来れなくなったらと心配したって話で、まあそのときはi-Oくんにちゃんと教えてあるからって言ってて、そうなの?(笑)さきちゃんのお話、「コーラスの時に口元に来るマイクはどうやって動かしているのかという質問を葉書でもらう」のだそう。葉書でもらうんか(笑)マイクはローディーさんが後ろから動かしてくれてるらしいんだけど、たまに熱中してるとマイクが来ること忘れちゃって、頬にコツンと当たることがあるらしい。ちなみにこの話、帰りのバスの列に並んでいたら後ろの人がずっとお連れさんに「さきちゃんのローディーは新入りで下手くそでダメだった、マイク顔に当てたりしてた、さきちゃんもイライラしていた」みたいなことを訳知り顔で話して相手を困惑させており、まあ私も耳に入ってしまい困惑したのでイヤホンで耳栓をしたのだけど、もし仮にそれが本当でローディーさん側の不手際で顔に当たったりしてたのだとしたら、それをミスだと悟られないようにあのMCしたのかな?とふと思った。まあ多分違うけど。てっちゃんは唐突に「あのってあるじゃん?」からMCを始めて、どゆこと?と思ったけど、三重に安濃っていう地名があるんだね。あのちゃんの不思議ちゃんぶりをどう誰も傷付けない適切な言葉で表現するか、言葉をちゃんと選んでいる感じが伝わってきたのがよかった。新幹線雪で心配だった話で、もし来れなかったらメカマサムネが歌ってたかも(クージーのMC参照)とか言っててウケた。メカマサムネ ?マサムネさんが「はってでも来ようと思ってた」って言ってて、そうよね、自分がコロナになって延期になってしまったんだもんね。いや私スピッツの4人のこと人として尊敬しているから、マサムネさんが夏の公演延期の時どんな気持ちで過ごしたのか、どう思ってるのか、本当に知れるわけないし知らせなくていいんだけど、知りたいんだよね。別にマサムネさんのせいじゃないんだけど、そういう責任を感じてしまうような場面って人生にたくさんあるし、そういうとき私の尊敬してる人はどんなふうに考えるんだろうなと興味がある。めちゃくちゃ責任感じるのでも、淡々と受け止めるのでも、なんでもよくて、草野マサムネはどう思うのか知りたい。まあそういうのを赤裸々に語らないとこが好きなんだけど。あとは久しぶりのホールで、アリーナもいいんだけどライブハウス出身のスピッツにはこのサイズ感がちょうどいいって話をしてくれた。マサムネさん、いつも通り生まれてきてくれてありがとうと言ってくれました。こちらこそありがとな。「次は古い曲をやります」って言ったときの声、優しげで恋だった。
月に帰る、これもびっくりしすぎてひっくり返ってしまった。たしかに古い曲をやりますって言ったけどいやそれチョイスするの?すごいな。「もうさよならだよ」を繰り返されてじわじわ情緒が死んでいく。待って、まださよならじゃない、まだ帰らないで…。ライブの終わりというより、スピッツがいなくなっちゃうみたいな気持ちになる。でも歌はプツッと終わってトランスなアウトロと煙と照明で白い光の中に消えていくステージ…これでライブが終わったら不穏すぎてどうしようかと真剣に思った。アリーナではアンコール2曲だったから、ホールは3曲なの忘れてた。この不穏で不安な感情どうしたら…と思ってたら春の歌が始まって、ウワーーーよかったーーー!!!強い、強いよ春の歌…。春の歌の歌詞すごく好きなんだけど、中でもずっと「春の歌 愛と希望より前に響く」「春の歌 愛も希望も作り始める」って歌詞が気に入っている。「春の歌」は、愛とか希望とか名前のついた感情の前にあるもの、もっと根源的で、そこから愛や希望が形作られていくような、無形のエネルギー、言葉にできない衝動なんだよね。それを「歌」だと表現できるのがまずすごいし、春は命が始まる季節だといわれるけど、その命の始まりというか、あの生温かい蠢きや突き上げるような外を志向する力の感じがこの歌詞に詰まってる気がする。あと、「忘れかけた本当は忘れたくない君の名をなぞる」って歌詞もすごく好き。君の名前を呼ぶのでも叫ぶのでもなく、なぞるんだ。なんでなぞるって表現が刺さるのかについてはいっぱい理由があるけど、まず君の名前が僕と君の間にあるものではなくて、僕の中にあるものだという感じが強くするのが好きなんだと思う。僕にとって君の名前は、僕が君の存在を自分の中に存在させるために、刻印するために、あるいはときに所有するためにあって、それはもう相手のためにではなく自分のためにあるものなんだと思う。自分の中で自分のためになぞる言葉。君という存在は多分、僕が自分のためだけに自分の中だけに持っている存在だ。
 
どの曲か忘れちゃったんだけど、前の三人がそれぞれステージのすごく前の方に出てきてくれた時あって、前の人いいなあ〜と思うのだけど、そういうときみんな必ず遠くの席の方、上の席の方を見て演奏してくれるのがすごく嬉しい。そういうちょっとしたところがすごく好きだなあと思う。
どこで入ってたか忘れたMC。久しぶりのホールで近くて幕が降りた時に恥ずかしくなってしまったマサムネさんの話。どっかの会場で幕うまく降りなかったから、緊張したって田村さん。いっそずっと幕がかかったまま、シルエットだけとかもありかも笑とマサムネさん。無しだよ、無しです。いや、いいよ、シルエットだけにしたいって君らがいうならそれでいい、けど、ライブでそんなガチの「君」演出されたらさびしすぎて悲しすぎて切なすぎて情緒が死ぬからやめてね。近づいても遠くても知っていた、それが全てで何もないこと、みたいな存在にならないでくれ。あとはオラムネもまた現れてくれた。
 
ホテルに帰る時、バスに並んでたら守衛さんがフレンドリーで、前の人たちとお話ししてて、その方たちどうやら北海道から来たみたい。まあでもそんなこと全然あるよねえ。夕飯は三重っぽいもの食べたかったけどどこも閉まってて、結局サイゼで青豆とハンバーグを食した。店員さんが半分標準語半分関西弁みたいな感じだった。三重ってどっちかというと関西だよね。なんで隣やん〜?みたいなノリで考えてたんだろう。全然隣じゃないんだよな。そういえば三重って方言あるのかな。私が育った地域ってほとんど方言らしいものがないから、憧れるっていうと怒られそうだけど、方言に憧れる。言語って人格というか自分の中のモードだと思っているから、方言と標準語両方持っている人は自分の中にモードが二つあるみたいでいいなあと思う。
それはさておき、当たり前なんだけど新潟は始発で行って会場でずっと並んでたからライブ終わったあとぶっ倒れたけど、今回はそこまで疲労せずに済んだ。お酒買おうかと思ったけど寒いしコンビニの缶チューハイって1人で飲むと必ず半分くらいでもういらないって思っちゃうからやめといた。ホテルに戻ったらスピッツ観てきたのかな?みたいな人たちがフロントにいて、私は1987→を着ていたし、同じスピッツ好きな人にホテルでサービスの枕をたくさん抱えているやつであるところを見られたくなくて、低反発枕をひとつだけもらってそそくさエレベーターに乗った。謎の自意識。たくさんの枕に囲まれて寝るの、好きなんだけどなあ。いやそんな、3つとか持ってくつもりはなかったよ?だけど、2つくらい持っていって寝心地を比べたりしたかったよ…。大浴場のついているホテルで、入りたいなあと思ったけど、たしかにスピッツ聴いてきた人もいるかもと思ったらもう絶対やめようという気持ちになってしまった。温泉でリラックスするのに憧れているから、わざわざ大浴場のついている宿を予約して、にもかかわらず結局入れないということが続いている。人が入った水に入るのが無理だし、人が流したシャワーの水が残ってる床歩くの無理だし、人に裸見られるの無理だから、温泉に入れない。だけど温泉に入りたいという気持ちはあるから、いつもギリギリのところに行って無理だと思って引き返す。まあもう、温泉付きの個室とかに泊まるしかないんだと思う。一回だけ、京都でそういう旅館に泊まったことがある。素敵な旅館だったなあ。今回は仕方ないので自分の部屋のバスタブにお湯を張って即席個室温泉を作った。温かくて気持ちがよかった。温かいお風呂の中でTwitterの返信をしたりなどした。リラックスリラックス。めちゃくちゃ安かったんだけど、すごくいいホテルだった。いや、すごくいいってあなた、安いビジホの「すごくいい」でしかないけど、もう全然それでいいしね。またいつか、宿泊施設自体が目的になるようなところに泊まりたいけど、人との旅行を企画でもしない限り無理だろうな。そして私は人と宿泊するのが苦手だ。ハハ、詰み。低反発枕に頭を沈めつつライブの感想を書いていたら寝落ちした。夢見は悪かった。低反発枕、向いてなさそう。
 
遠征の記録、1日目にして10,000字を超えてしまった。このままでは軽い卒論くらいの字数になってしまう。
 
二日目
備え付けの枕で二度寝したので、よい目覚め。窓を開けたら、なんと実はオーシャンビューであったことが発覚する。遠くに見えるだけで手前は本当にただの小さな街なのだけど、朝のくすんだ光を受けてキラキラ海が輝いていてとても綺麗だった。別に海の大きさなんて自分の目線から見た景色だけではわからないのに、開けた広い海ではなくて、三重県という場所の海、湾なんだという感じがなんとなくわかった。二日目の予定は全く何も組んでおらず、夏時点でぼんやりと三重県立美術館に行こうかな〜と思っていたくらいだったので、もう今日は1日のんびり美術館行ったあとはライブ記録書くのに専念してもいいかも〜と思っていたけど、せっかくここまできて、何もしないなんてさすがに勿体無いなと思い、伊勢神宮まで行ってみることにした。ちなみに三重県立美術館と伊勢神宮で迷っているとTwitterでつぶやいたら三重県立美術館のアカウントからいいねをもらってしまった。ごめんなさい、行けなくて。日本近代洋画の企画展とか、興味はあったけど、仕事のことめちゃくちゃ考えちゃいそうで…。いつも観てるからついついあさイチを観ながら準備。てか最近肌の治安良くて、三重公演に向けてこの数日はピーリング強めで肌ヒリヒリになる薬とかも優しいのに変えて準備してたのに、だからなのかもしれんけど三重の前日から「は?」みたいな爆弾ニキビ四つもできてマジで萎えたよね。なんなの?私のスピッツに会える期待と連動しとった?やめてね。マジ最悪だったよ。ヘアアイロン借りようと部屋出たらルームキー忘れちゃって、ホテルの人に助けてもらったけど恥ずかしかった。
サービスのコーヒーを飲んだあと余裕でチェックアウトして、近鉄に乗って伊勢市駅に移動。いい天気。ゆっくりした鈍行で、ときどき畑のあるなごやかな住宅地を走っていく。昔イタリア旅行した時に、アマルフィに行くためにポンペイから船の発着場のあるサレルノまで乗った電車を思い出した。私は一泊したポンペイがすごく気に入ったのだけど、それは遺跡があるからではなくて、遺跡から少し離れた街の感じや遺跡から見えた山の景色がとても懐かしく感じたからなのだった。雰囲気がとても日本の地方と似ていた。ポンペイに行ったとき思ったのは、ここ、日本じゃん、ということだった。そして今、日本の津から伊勢に向かう電車に乗りながら、私は「ここ、ポンペイじゃん」と思っている。不思議だ。また会えるよってこういうこと?違うか。伊勢神宮に着く前に斎宮って駅があって、おっこれは六条御息所…と思ったけど「斎宮」ってものすごくポップな看板が出ていて、これでいいのか?斎宮…わかんないけど…。
伊勢に向かっている途中でフォロワーさんに声をかけてもらい、伊勢神宮を一緒にぶらぶらさせてもらえることになった。やべえなんにも調べてないからなんちゃら横丁が一体どこの駅に降りればあるのかもわかんないし外宮と内宮とどっちに近いのかもどんくらいかかるのかもなんもわかんね〜となりつつも、何も考えていなさすぎて逆にフレキシブルになれた感じがした(?)なんか私、一人の旅行は気楽でいいよね〜みたいなことを書いとったけど、ごめん、結論から言ってフォロワーさんとまわる伊勢神宮めっちゃ楽しかった。いや多分お相手のコミュニケーション能力が高すぎて自分のコミュニケーション能力の低さがカバーされたというか、コミュニケーションを楽しめている!と思えたんだと思うけど、めっちゃ楽しかった。え〜人と行く旅行、ええやん。フォロワーさんと集合する前に、伊勢市駅前でバスを待っていたら、知らないおじさんに「伊勢神宮まで行くのってこのバス乗り場でいいんですかね?」って聞かれた。かわいそうに、よりにもよってここに来るまでおかげ横丁の名前すらほぼ聞いたこともなかったような私に声をかけてしまって…。その時は確かにそのバス停であってると思っていたから「うーん、ここでいいと思うんですよね〜たぶん、うん、いいと思う」とか答えてしまったけど、本当はその乗り場ではなかった。おじさんうまく伊勢神宮まで行けたかな。大丈夫だよね、おじさんだって大人なんだし。
まずはおかげ横丁に行って、うどんを食べた。ふくすけという有名ならしいお店のうどん。茶屋みたいな感じの作りのお店で、いい感じだった。うどんはたっぷりとふくふくしていて、濃いめの汁がよく絡んだ。赤福本店に行って赤福も食べた。私の赤福の記憶は偽装表示事件の頃で止まっていて赤福に本店があることもそこで赤福が食べれることも正直あんまりよく知らなかったので(まあ本店がないわけないよな)、入った時の感激が大きかった。だってなんかあんな素敵な座敷空間が広がっているとは思わなかったんだよ。小さい日本庭園がついてて、その向こうには川があって、座敷の端には火鉢が置いてあって、広々とした畳に座ってみんなで仲良く赤福を食べれて、いいところだった。途中で赤ちゃんを連れたご夫婦がやってきて、赤ちゃんが私たちにファンサをしてくれた。
赤福食べた後は伊勢神宮の内宮に行った。五十鈴川の水がすごく澄んでいて、泳いでいる鳥の足まで見えた。見ていると、鳥は水の中に潜っていった。覗いてみたらお金がたくさん投げ入れられていた。不法投棄だめだよ。木のいい香りを嗅ぎながら人の流れに身を任せて正宮にも行った。お参りして、撮影は禁止だったので隙間から見える建築物を一通り眺めた。隅の方に小さい建物があってその中で白い装束に烏帽子被った人が二人、何かを書いていたのだけど、あれはなんだったんだろう。調べてみたけど、あまり有益な情報は得られなかった。なんて調べたらいいのかわからなくて「伊勢神宮 正宮 書いてる人」「伊勢神宮 正宮 小屋 烏帽子」とかいう雑ワード検索したからかもしれない。あとはまたおかげ横丁に戻って、松坂牛のお寿司を食べたり(脂が乗ってて美味しかった)、お茶を飲んだり、お土産屋さんをめぐったりした。鮑とか牡蠣とかもあった。土産屋さんの一つにハンコを売っているところがあって、フォロワーさんと二人で草野とか正宗とかを探したけど、女の子の下の名前しか扱ってなくて、結局草野も正宗も宗もなかった(正はあった)。楓とかなぎさとかナナとかはあった。結局何を買えばいいのかよくわからなくて何も買わなかった。
伊勢神宮を出るタイミングで少し天気が崩れてきて、セーフ。岐阜公演に向かうフォロワーさんとバスで伊勢市駅まで戻る。岐阜は帰りがギリギリすぎるし際限がなくなりそうだからやめておいたんだけど、バスの中でやっぱり岐阜公演にいきたいな〜ここまで来たんだしな〜と思い始めてしまい、15時とかいうあまりにもギリギリになってチケットを募集しながら岐阜に向かうことにした。こうなるかもと思って新幹線を予約してなかったんだけど、こうなると思ってたならチケット早く募集かけとけよ。フォロワーさんが協力してくれてTwitterでチケット譲渡出るのを毎秒更新して探しつつ、岐阜に向かった。途中から時間が怪しくなってきて、岐阜駅に着いた頃にはもう18 :00すぎてたから、一回出たチケット譲渡の「17 :30に合流できる人」というツイートに声かけた時に譲ってもらってたら大変なことになってただろうしかえって良かったと思った(私じゃない人にチケットがいったことが)。とりあえず大急ぎで万が一チケット手に入った時用に現金をおろして、バスに乗り込んだんだけど、岐阜のバスって「アユカ」しか使えないんだね。長野にいたころ「くるる」というローカルICカードがあって、長野のバスはそれしか使えなかったんだけど、よく観光客がSuicaをかざしているのを見て「それは使えないんだよ…」と思っていたことを思い出した。長野にいた頃の高校生の私はSuicaに憧れていたし、長野でしか使えないくるるってなんだよと思っていたけど、同時にどこかで、当然のようにSuicaがどこでも使えると思ってやってくる首都圏からの観光客に複雑な感情を抱いてもいた気がする。ついつい、私は今回Suicaをかざしてしまった。いや別にSuicaをかざしていいんだけど、何も悪くないんだけど、そうだよね…。この話はやめよう。道路がとても混んでいて、車社会なんだなあと思った。駅前は程よく栄えていて、夜でもわかるくらい長良川は広々としていて、なんだかとてもいいところだった。長野に雰囲気似ているけど、もう少し味噌味が強い感じ(なんの話 ?)、何かタイミングを見つけてまた来てみたいなあ。
旅の中で小銭がだんだん足りなくなってきて、このバスの運賃はギリギリ10円玉を13枚と100円玉1枚で乗り切った。バスを降りてすぐ、ツアトラがメチャクチャ目立つところに停めてあって、大慌てでも記念に写真を撮ることができた。岐阜のチケット持っていたフォロワーさんを大急ぎで見送って、チケットラストチャレンジしたけど、開演時間になったのでほぼ諦めてとりあえずお手洗いに行った。ライブ会場で混んでないトイレに入る貴重な体験だった(笑)あとはぶらぶらしながら一応チケット持ってる人おらんかなあと入り口付近に張っていたのだけど、この時点で正直めちゃくちゃ満足していた。三重で終わるはずだった「ライブの日」がもう1日延びたような感じがしたし、伊勢から岐阜までの大移動も楽しくて、予定外の動きでスピッツを追いかけたのも、一生懸命チケット探したのも、なんだかそれ自体がとても楽しかった。こんなことまでするようになったんだ、と自分の変化(?)がおもしろかった。なんだかうきうきしていて、その勢いでついついチケット募集のカードを持って立っていた方に話しかけてしまった。突然見ず知らずのおしゃべりな小娘に話しかけられて困惑しただろうに、気さくに話してくださったその方と名古屋まで一緒に帰らせていただくことになった。元来たバスに乗って、元来た電車に乗って。結構初めの頃からのファンだというその方と、スピッツの話をたくさんした。昔のライブの感じとか、かつてライブ前には会場付近にたくさんいたダフ屋の話とか(私は最初ダフ屋という存在を知らなかった)、ライブで聴きたい曲、行ったほうがいい会場、スピッツの好きなところ…楽しかったなあ。あっという間に名古屋に着いてしまって、だけど心は大満足していて、Twitterを交換してお別れした。
ぴよりん(の人形焼)とういろうを買って、あいち牛の牛飯も買って、新幹線に乗り込んだ。さびしいよ〜自由席だけどなんとか座れて、あとはご飯を食べて旅行記を書きながら寝落ちしたりして、東京に戻ってきた。そう、その途中で公演が終わってセトリが公表されて、フォロワーさんと岐阜の会場はさらさーらなんだからさらさらをやらないわけがない、と話していたのにさらさらはセトリに入っていなかったことが判明した。さらさら聴きたいよ〜と思ってたらアンコール2曲目を見て目ん玉ひん剥いてしまった。夢追い虫〜〜〜〜〜〜!?!?!?!?夢追い虫!?!?!?夢追い虫!?!?!?待って、聴きたかった、聴きたかったよ…嘘でしょ…聴きたかったよ……。夢追い虫が好きだよ……。ああ、まだまだ聴きたい曲がたくさんあるよ。ではこれからもたくさんスピッツに会いに行って楽しい旅をしたいなということで、最後に今回やってくれた曲も含めてライブで聴きたい曲発表しますね(順不同)。
 
①    恋のうた(絶対聴きたい。聴かなきゃ死ねない。逆に言うと聴いた瞬間にその場で死ぬかもしれない)
②    甘ったれクリーチャー(やってくれたんだよ!)
③    ナイフ(確実に過呼吸になるか息するの忘れて死ぬ)
④    エスカルゴ(アガリすぎて宙に浮くかも)
⑤    夕焼け(死)
⑥    流れ星(涙で前が見えない)
⑦    惑星のかけら(恋に落ちすぎて死ぬ)
⑧    日なたの窓に憧れて(これはもう、ね)
⑨    君だけを(………合掌)
⑩    アケホノ(絶対ワイプしたい)
⑪    1987→(ゴースカで聴けた)
⑫    えにし(始まった時死ぬと思った)
⑬    魔女旅に出る(情緒は死ぬ)
⑭    ホタル(色気で死ぬ)
⑮    フェイクファー(まあこれはもう)
⑯    さらばユニヴァース(ガチ恋
⑰    甘い手(好きなんだよ)
⑱    オケラ(こういう音がライブで聴きたいよね)
⑲    夢追い虫(あああああああ)
⑳    ハチの針(エスカルゴと同じくらいぶち上がると思う)
And more……

日記(ブレブレ)

1/29(月)
昨日行った美容院でつけてもらった大量のムースやワックスを洗い流してから出勤した。24時間経っていないので気が引けたけど、あまりにも髪がドロドロで薬品の香りも強くて、とてもじゃないけど対人の仕事をしていい状態ではなかった。ワックスをつければ癖がとてもいい感じにまとまるということを教えてもらい大変気に入ったのだけど、私はニキビがひどいので顔に付く可能性のある範囲にスタイリング剤を使うのがこわくて、普段はあんず油でスタイリングしていることを、忘れていたわけないのに思い出した。別に、スタイリング剤がつこうがつくまいがニキビはでき続けるのだが。会社に行くと、結構な人数が体調不良で休んでいた。怖くなって、今更マスクを着けた。全部ニキビニキビ言ってうざいけど、マスクをつけると擦れたところにニキビができるのが嫌だし、せっかく隠したニキビ跡がドロドロになったファンデの下から見えるのも嫌で、あんまりマスクをしたくない。なんだか、バカみたいに見た目のことばかり考えているのかもしれない。見た目のことばかり言っていて中身がカスカスになっているのに、その見た目すらコンプレックスで、何もない?もしかして笑。言葉を発するとネガティヴになってしまう癖が抜けない。本当は何も言葉にしようとしない方がいいのかもしれない。
とても心のバランスが悪い気がする。仕事ではやる気もあるし成果らしきものが出れば嬉しくて、もっと頑張りたいと思うのだけど、足りていないことが不安でそんなに多いわけでもない業務量に窒息しそうで、ちょっとした失敗や遅れ、上手くいかないことに信じられないくらい動揺して苛立ったり落ち込んだりしてしまう。何もできないけど穏やかなことだけがマシなポイントだと思われてきたのに、それすらなくしたらただの使えない迷惑な人間だな。何にも嫌なことなんてないしどちらかといえばポジティブで前向きだという気持ちも、何もかもが不安で嫌いで泣きたい気持ちも、どっちも同じくらいあって混乱する。ずっとネガティヴだった昔よりも「まあいいかな」と思えることが増えたしあまり色々気にしなくなってきたような気もするし、自分の人生自分で責任取って生きていきたいよねと思えるようになったけど、別に根本的には何も変わっていないのかもしれない。本当の私だと私が思っているものは、自分と世界に対する嫌悪感と無力感のかたまりで、その気持ちは、どれだけ跳べると信じられる気がするようになったとしても、ずっと無くならないのかもしれない。
お家に帰ってきてからなんだかとてもさびしくなって、またスピッツに縋りついていた。私ときたら、ニキビのこととスピッツのことしか考えていないらしい。不安なとき、かなしいとき、さびしいとき、スピッツが私に与えてくれるもの。これが私のスピッツ好きの根底にあるはずなのだけど、それが一体なんなのか、ずっと上手く表現できないでいる。何も上手く言えたことなどないけど。スピッツの歌詞が好きで声が好きで音が好きでメロディーが好きでメンバーが好き、でもそんなことは全て超越した次元の何かが「スピッツ」として存在していて、それが私にとって欠けているものの形をしていると思う。何かが足りないと思うことが、スピッツに触れたいと思うことと同義であるような気がする。「とってもさびしい」ことと「今すぐ君に会いたい」こととは順接ではなく同義なのだ、私にとって。


・セクシー田中さんの作者が亡くなったと聞いて、ショックだった。ドラマ化する前に漫画を読んで以来、とても好きだった。背筋を伸ばして生きていきたい、というメッセージをお守りのように感じていた。ドラマは全てではなくても原作に忠実で、上手にやってくれたんだなあと思っていたのに、裏でこんなことになっていたなんて知らなかった。


ふるさと納税のコーヒーが届いた。さくら猫支援のコーヒーとのこと。