ひとりごと

つきみおが長文でひとりごとを言います

日記(三連休、ハロウィンの花嫁、降谷〜泣)

 4/30

名探偵コナンについて包み隠さず賛否を述べているので(大したことは言ってないけど)好きな人はご注意ください。


三連休について。0日目(土曜の夜)、6連勤を終えてGWに突入する前夜祭としてちょっぴりいいビール(ほんとうにちょっぴり)と、モツ煮やきんぴら、ひややっこなどを買い込み、酒盛りをしながら最近アマプラで解禁されたばかりのハロウィンの花嫁を初めて観た。私が名探偵コナンという作品をちゃんと知ったのはごく最近のことで、修論が書けねえ人生がこわい…とカーテンも開けられずに布団の中でうずくまってしまう日にサンデーうぇぶりで読み始めたのがきっかけであるから、だいたい3年くらい前のことである。小さい頃、月曜の7時からは犬夜叉を、7時半からは名探偵コナンを観るのが多くの子供達のお決まりごとであったとき、私の家では名探偵コナンは人が意味わからん理由で死ぬので観てはならないアニメと定められていた(一理ある)。こっそり小学校の図書館で漫画を読んでみたこともあったけれど、一巻の一話目でなんだかよくわからない人がなんだかよくわからない理由でなぜかジェットコースターの中で首を吹っ飛ばされており、その血飛沫が幼い私には非常にショッキングであったので、なんだかこわくなった私がコナンという作品に触れることはそれきりもうなかった。ずっと服部というのは警察のおじさんの名前なのだと思っていたし、一体そのおじさんが痩せ型でちょび髭の人なのか、帽子を被った太っちょの人なのかもよくわからなかった。

その頃から20年近い時を経て修論を書けない私がコナンを読み始めたのは、めぞん一刻犬夜叉などといったかつて愛読していた作品を再読する中で、その隣に並んで掲載されていたこのもはや歴史と化している未読の大作をいっちょ読んでおこうかという気持ちが芽生えたのもあったが(修論を書けよ)、私の愉快な友人が以前工藤新一と黒羽快斗についての秀逸なエッセイを書いてくれたことがあったからというのが大きい(ちなみにこのエッセイは、私が高校生の頃に好きだった笠松幸男というキャラクターについて書いたクソデカ感情エッセイに対する返歌であった。オタク同士の戯れである)。なおこの友人とはそれからコナンの話をよくするようになって、昨年の映画は一緒に観に行ったし今年の映画も一緒に観る約束をしている。そしてこんな感じで私がコナンを読み出してから初めて公開された映画が、土曜の夜に観たこのハロウィンの花嫁なのであった。
 
名探偵コナンは私にとって未だ不可解な物語である。まともな大人の感性を持ったまま読んだら発狂してしまうくらい常識や倫理観が欠如している場面が多々あるし、ストーリーの繋ぎが甘いと感じる部分はあるし、何を守るためだか知らないが高速道路で今確実に人を殺しただろみたいなカーチェイスをおっ始める警察官はいるし、私見の限りでは描かれている感情の解像度もそれほど高いとは思われない。それを踏まえてなお、読み始めると思わず夢中になってしまう抜群の面白さがある。なんなんだ、この物語とキャラクターの推進力は。
ハロウィンの花嫁について言えば、映画公開前のおそらくハロウィンに合わせた企画だったと思うが、警察学校組の故人が仮装して集まったイラストを掲載した専用サイトが立ち上がり、毎日一人、また一人とそこから姿が消えていくとともに消えたキャラの死因が画面に表示されるという演出で映画の詳細公開のカウントダウンをしていたことがあった。私はそれを見て決して品がよいとは思わなかったし、降谷という大人気キャラクターの悲劇性を演出したいのはわかるがこんなふうに人の死をエンタメにしなくてもと思ったが、土曜の夜映画を観終わった時、私は完全に「ふ、降谷〜……泣泣」状態であった。チョロすぎる。同志を四人も亡くした悲しみと孤独は相当深かろうし、それでもなお(あるいはこそ)職務を全うするのは痛々しいほどまっすぐだし、そりゃそんなまっすぐなら常軌を逸した檄しやすさと強引さがあっても仕方ないよな常人じゃないわなと思った。そもそも降谷の警察官としてのモチベーションって人探しだったわけだけど、もはや殉職した仲間を背負っているからというのが、職務を全うするための信念の核になっているんじゃないのか。それって生きていくためには一生苦しみを背負い続けないといけないということじゃないのか。降谷、かわいそうに、あんなギャグみたいな椅子に座らされて……。なんだあのボトルは。よろしくやっている場合か。この物語の中で、身内を全員殺されたエレニカは別世界の降谷零なんじゃないのか。エレニカにはプラーミャの「殺害」という手を染められる悪があったから、善き判断をするという救いがあり得たけど(それは爆弾魔への発砲を高木くんに阻止された佐藤さんにも言えるのかも知れない)、じゃあ元から正義の側にいる降谷零は誰が救ってやればいいんだよ。なあ降谷……公道で危険運転をするなよ。観覧車の上で不必要なアクロバットを披露するのもやめろ。幸せになれとは言わないから、狂っててもいいから、最後に自分で納得できるような人生を歩んでくれ。
ちなみに、私がコナンの中で好きなのは、哀ちゃんと高木くんとジンです。スピッツ、哀ちゃんの主題歌を作ってくれてありがとう。
 
三連休1日目。昼頃に起きて洗濯と掃除をしたあと、父の退職祝いを購入するため街に出た。ぐるぐると百貨店を彷徨い歩いたが、何を買えばいいのかさっぱりわからず、悩み疲れて退散した。お金持ちの中を歩いて心がしなしなになってしまい、帰りに寄ったLUMINEでいつもなら相当躊躇する値段帯のスカートをスルッと買ってしまった。なんだか、高くない服を着ている自分が恥ずかしいと感じていた。悲しかった。昔は気がつかなかった手の届かない世界が、どんどん顕になっていくような気がした。購入したのは白いナイロンの大ぶりなコクーンスカートで、ガーリーにもカジュアルにもならない明るい色のスカートをずっと探していたから、即決できたのはそのためでもあった。暗い気持ちはかわいい洋服を奮発して買ったらどこかにいって、前は真っ黒だったワードローブがまた一段と明るくなる様子を思い浮かべて、ルンルンとしながら帰った。帰宅後はヘトヘトになって、お酒を飲みながら猫ちぐらの夕べを観た。お酒が入っているときに観ると、いつも泣いてしまう。別に泣く曲じゃないのに、スピッツが好きな気持ちが原因なわけでもないのに、なぜか泣いてしまう。
三連休2日目。前日の疲労から回復することができず、布団カバーを洗濯する以外何も有益なことはできないまま、何にもしない一日を過ごした。三連休だと、一日くらい何にもしない日があっても悠々とした気持ちでいられるのでよい。
三連休3日目。父の退職祝いを意を決して買いに出る。明日は仕事なので、体力を賢く分配しなければならない。昨日は銀座のこわい百貨店に行ったので、今日は日本橋方面の百貨店に行くことにした。まずは大丸に行ったが、こうして短期間でいろんな百貨店に行くとそれぞれの色のようなものが見えて面白い。大丸の安心感。というか銀座三越のアウェイ感…(庶民なので)。結局、日本橋高島屋バカラでウィスキーグラスを購入することにした。世間一般の人々がどれくらいバカラを買ったことがあるのか知らないが、少なくとも誰の結婚式にもまだ呼ばれたことがないような交友関係の狭い私はこれまで誰かにバカラを贈るようなこともましてや自分用に購入するようなこともなかったので、人生で初めてバカラのお店で買い物をした。こんなみすぼらしいなりをした田舎っぽい小娘が一体ここで何を買うというのか、ショーウィンドウの外からクロワッサンでも食べながら覗いておいで、とでも思われそうで怖かったが、麗しい物腰の優しいお姉さんとお兄さんが親身に相談に乗ってくれ、丁重にお客様として扱ってもらえたので安心した。この上品な接客態度はきっといつか私の接客にも生かされることだろう。購入したものはそれほど高額なわけでもなかったが、あの真っ赤なショッパーを持って街を歩くのは気分がよかった。赤って素敵な色だと思った。周りの同世代のお金の使い方と比べたらなんだという些細なことかもしれないが、憧れがひとつ手の中にあるようで、素直に嬉しいと思った。


決意。明日は絶対に定時で帰る。絶対にだ。

 

そう、今日の朝読んだ記事がよかったので載せておく。

セルフケア・セルフラブを取り戻す――資本主義的「ご自愛」への抵抗(竹田ダニエル/Ohta book stand)

https://ohtabookstand.com/2023/10/selfcare01/