ひとりごと

つきみおが長文でひとりごとを言います

日記(へた)

4/21

土曜の深夜、ここ一週間ほど聴くのをやめていたスピッツを解禁した。久しぶりに聴くスピッツはなんだか少し違う音がするような気がした。スピッツを聴くことによって救われているのは紛れもない事実だけど、救われるためのものとしてスピッツを規定することは、ときに自分の首を絞めることになってしまうのかもしれない。スピッツのことがめちゃくちゃ好きで、死ぬ時には必ず思い出すであろう大切な出会いであることはずっと変わらないけど、それと同時にスピッツを聴き続けることがある種の過食衝動のようなものであることも自覚している。どちらも私にとっては避けられない感情である、というよりは過食衝動のような何かを心の底に抱え続けていることとスピッツを好きであるということはある意味切り離すことができず、私はそのバランスが崩れてしまわないように慎重でなくてはならない。


じっと聴いていると、また頭の中で芋づる状にさまざまなことが蘇ってきてぐちゃぐちゃになってきてしまったので、そんなことが書いてあったのではないかと思い横道誠の本をぺらぺらと捲ってみた。それに近いことは書いてあり、そして横道さんの本には共感することも多いのだが、この本からはそこはかとない優越感と特権意識を感じてしまいそこが少し苦手だったということを思い出してそっと閉じてしまった。というか、なんだろう、人間の強い匂いを感じてしまうのが苦手なのかもしれない。私だってきっとめちゃくちゃ人間の匂いをさせているのだろうけれども。自分の人間の匂いが気持ち悪いから、他人からする人間の匂いを嫌悪してしまうのだという可能性もある。そういえば、何かを思いついたり感じたりしたとき「このことってあれに書いてあったんじゃ?」と思って本やwebサイトなどを確認してしまうのは、みんながやることなのだろうか。


外はとても暖かく、日用品と仕事用の服を買いに出た。かわいい服は高い。大富豪になりたい。かわいいけど高いし仕事になんて着ていきたくない服に後ろ髪を引かれながら、似合うのかよくわからないすうっとした青色のシャツを購入した。アガパンサスとか、オオイヌノフグリとか、アジサイなどに近い色である。帰宅中に雲行きが怪しくなってきて、マンションのエントランスに入る直前に後頭部に一滴何かが当たったなと思い、屋根の下で振り返ると、外は雨が降り出していた。自分のタイミングのよさに嬉しくなった。
明日からのお弁当のために、鶏胸肉を塩麹蒸しにしてみた。おいしいとよいのだが。夕食用に作った煮物は少ししょっぱくなってしまった。いつも、ごぼうを調理するのが下手。
 
触って、変わって。自分の輪郭からこぼれ出るような経験を、スピッツは希求しているように見える。自分の輪郭の外に連れ出してくれる、自分とは他なるものである君に触れること。君と溶け合うことに失敗したとき、そこには溶け合えなかったという挫折と、形の変わった自分の輪郭が残るのかもしれない。僕の中の何かが現実に変化することと、水になり翼が生えあるいは他の生物に変わるという想像と言語における変化とは別のことだが、いずれにせよそこには「らしくない自分」であるような、自分ではない何かに自分を変えたいという願望があるように思う。
いつも自信がない。こんな文章を書いている自分も、それを投稿したいと思う自分も、どうかしているんじゃないかと思う。恥ずかしくないのとか、思うけど。