ひとりごと

つきみおが長文でひとりごとを言います

日記(頭の中)

4/18
いつのまにか桜が散っていた。朝大急ぎで詰めたお弁当を家に忘れてしまった。頭の中がばさばさとしていて、残容量が5Gしかないパソコンのような動きをする。


早く休日にならないかと平日を出しっぱなしの水のように消費する生活をこのまま一生を送るのかと思ったら怖くなった。木曜日を、木曜日として大切にしてみたい。今を生きよう、今を頑張ろう、楽しんで生きようと思う気持ちと、私には何もできないのだと思う気持ちを両方同じくらい感じながら生きている。片方ずつしか出せなかった音を、重音で出せるようになったのかもしれない、と思う。
書きたいことがない、部屋がすごく汚い。笑顔でいてくれる人というのは大事な存在だ。忙しくても笑顔でいれる人間になりたい。自分とかけ離れた人間になりたいと思うことが少なくなった。てきぱき仕事ができる人とか、人とすぐ仲良くなれる人とか、ズバズバ思ったことを言える人とか、迷わずに物事を決められる人などに、なりたいと思うことが少なくなった。だけど、そういう人になれない私の行き着く先が「いけそうな人」であったということを思い出すと、とてもムカムカしてしまう。軽んじられたくないと思う気持ちを封じ込めないと軽んじられてきた事実を受け入れられないと思い、ムカムカする気持ちを隅の方にどけて抜け道を探したりする。抜け道がない。私が私であるが故に軽んじられるのであればなぜ私の方が変わってやらねばならないのかと思い、どうしようもない。
家に小人がきて、片付けとゴミ捨てと洗い物を済ませてくれる。朝起きたら部屋は綺麗になっていて、たまにコーヒーを淹れて置いてくれることもある。ありがたいことである。風呂の排水溝がいつの間にか詰まってしまうこともないし宅配便の包装用紙がいつまでも床に落ちていることもないし、布団はいつも清潔でふかふかとしていて、泣きたい気持ちになることも悲しいこともムカつくことも不安になることもなく、気分はいつもはれやかで頭はすっきりと冴えわたり、できないことができるようになることに喜びを感じ、世界は興味深いことで溢れている。


またペットボトルを増やしてしまった。500mlの水を飲み切ることができず、家に持ち帰ってきてしまう。突然、過去の私と未来の私にメールを届けてみたくなる。過去からのメールは届き、未来からのメールは届かない。
「明けがたに起きにくいときには、つぎの思いを念頭に用意しておくがよい。「人間のつとめを果たすために私は起きるのだ。」自分がそのために生まれ、そのためにこの世にきた役目をしに行くのを、まだぶつぶついっているのか。それとも自分という人間は夜具の中にもぐりこんで身を温めているために創られたのか。「だってこの方が心地よいもの。」」「Ce que je sais, c’est que pour un certain nombre de maladies incurables, dont la maladie de Charcot, la souffrance peut être insupportable des années avant le décès du patient.」「鶴は人のように歩きながら、私と並んで橋を渡った。」
頭の中がうるさい。ずっと何かを喋り続けている。止まらなくなったChatGPTのように、私の思考の制御を外れて、謎の言葉が湧き出し続けている。