ひとりごと

つきみおが長文でひとりごとを言います

日記(バター入りマーガリンのことなど)

11/15
先日焼き芋にバターを塗って食べたので、というのは嘘、バターは高いからバター入りマーガリンのチューブを塗って食べたので、家にバター入りマーガリンチューブがあり、朝ごはんのパンに塗って食べたところ、あまりおいしくなかった。なんの話?
会社にひとり、私のことを見るとイライラしてしまうのかな〜みたいな感じの人がいて、申し訳ない気持ち。まあ私がそもそもその人のことをとても好きなのだけど話すのは苦手だな〜緊張するな〜こわいな〜と思っていたので、その挙動不審なビクつきが癇に障ってしまったのかもしれない。私が人との距離をうまく取れないがばかりに不快な気持ちにさせてしまって申し訳ない。こんなこという人間は大抵申し訳ないなどと思っていない。よくわからない、嫌いにならないでほしいな、でも仕方ないね。
意図的に、弱そうな人間でいるのだと思う。弱い自分として人の前に身を晒すことは、容易に傷付く存在として身を晒すことは、「それでもなおあなたは私を傷付けるのですか?」と相手を問いただすことだと思っているからだ。ずるいやり方だと思う。お姫様気分の考え方だと思う。そのやり方が気に食わなくて嫌われるのだろうと思う。だとしたら、何も異論はない。私もそんなやり方で生きていこうとしている人間はクソだなと思うからだ。 
それでも弱い人間でいることをやめられないのは、矛盾しているようだけど、他人は自分を傷付けるだろうという前提を崩せずにいるからだ。自分は傷付けられる存在なのだと思っているから、そのことに納得しようとして、その傷付きやすさを自分のものにしようとして、能動的に弱い人間でいようとしている。傷付きやすくあることで、自分を納得させ、傷付ける人間に抗議している。何かが間違っていると思うけど、何が間違っているのかわからない。強く生きる方が、傷付きやすい存在として生きるよりもよほどつらいことであると思う。だけど、ほんとは強く生きれたらいいのにとも思っている。
こんなことを書いていながら、ちっとも落ち込んでいないのである。朝、ひさしぶりにすごく好きな方のブログを見たら1年ぶりくらいに更新されていてうれしかった。もともとは絵を見てファンになった方だけど、書かれる文章を読んだらとても思慮深く美しいひとで、もっと大好きになった(いちどだけその方の作ったものを通販で購入したことがあるのだけど、宛名の文字もお名前も美しかった)。一度もお話をしたことはなくて、ただ7,8年くらい更新される作品とブログを見ているだけだけど、この世界にこの人も生きているんだなあと感じると、なんとなくあたたかなきもちになる。人の書いたものを読むのは楽しいことだなと思う。