ひとりごと

つきみおが長文でひとりごとを言います

日記(餅つき、シュトーレン)

11/18
16日、ジャンボリーデラックスを一部視聴しショックを受ける。スピッツが人間であるということに、草野マサムネが人間であるということに茫然とする。それと同時に少し冷静な自分が「こんなふうにライブを30年もやってきたらそりゃ今みたいに懐が深くなるだろうな」と納得する。
17日、上司とその前職の同期2人と飲みに行く。ちょっとよくわからないメンツである。こんな場に混ぜられてもなんとか人間としてのコミュニケーションが成立したのはひとえに私以外の3人のコミュニケーション能力のおかげであり、私はただひたすら餅つきの水をつける人のようにタイミングを見計らい適量と思われる言葉をちょちょいと挟み込むばかりであった。コミュニケーションにおいて、少なくとも餅つきの水をつける人にはなれなくもないのだが、そもそも餅をつく人がリズムよくせっせと杵をふるってくれない限り水をつける人というのはどうしようもないわけで、私がコミュニケーションを取れる相手というのはつまりコミュニケーションが上手な相手なんだなあと思った。まあコミュニケーションが取れていると思っていたのは私だけかもしれないが。ただ、その場にいて不自然ではない振る舞いをできたところで、じゃあ有益なコミュニケーションが取れたのか?というとそれは否なのであって、今回私はせっかく上司が異業種の人との交流機会を設けてくれたのにただ上司のお金で飲み食いしながら餅つきの水をつけるだけの人になってしまった。仕事と何にも関係ない人とお酒が飲みたい。仕事の話ではないことで盛り上がりたい。なお、タイ料理はとても美味しかった。
18日、朝起きたら良い天気で、家事をしてからお昼過ぎに散歩に出たところポツポツと雨が降ってきた。そのまま歩き続けていたら雨はやんだ。空が半分雨雲で半分青空になりとてもぽっかりとした気持ちになったので、これはスピッツを聴かなくては!と思い(まあいつも聴いているんだけども)僕の天使マリやアパートなどを聴いた。行った先には海があって、パンを食べながら今度はみなとを聴いた。帰り道でシュトーレンとチャイを買った。留学していた頃、来たかった場所でやりたかったことをして最高に満たされているはずなのに、当時付き合っていた(し依存していた)恋人とうまくいかなくなって、異国の地にひとりぼっちで、頑張らなくてはいけない貴重な時なのに図書館にいても道を歩いていてもご飯を食べていてもボロボロ涙が出てきて、情けなくて悲しくて悔しくて最悪のどん底でクリスマスの時期を迎えた。悲しくてガンガンするとき、街の中心広場で行われているクリスマスマーケットによく行った。俯きながらスーパーで買い物をしていると、そこかしこにディスプレイされたクリスマスのお菓子や食べ物が目に入った。ずっと苦しくて悔しくて最悪でもう訳がわからない気持ちだったけど、クリスマスの空間は楽しかった。そのときたくさん買って食べていたのがシュトーレンだった。シュトーレンは幸せの味がする。キリスト教徒でもなければ欧州に文化的ルーツを持つわけでもなく、表層を楽しんでいただけなのかもしれないけど、クリスマスが幸せな季節なのだということを私は一生忘れないと思う。