ひとりごと

つきみおが長文でひとりごとを言います

日記(聞いてほしいだけ)

10/8もうさすがに秋だった。晴れている。

来週に来るはずの給湯器交換業者がなぜか今日来たが、最近の私は家を常時きれいに保っているため「今日でもいいですよ~」と言って颯爽とお通しした。こんなことができるようになるなんて、成長である。私は自分が成長するとは一ミリも信じていない人間ではあるが、これは一応変化ではあるし、客観的に見て成長であると言えるだろう。おじさんが給湯器を交換している傍ら、家事なども終わったためスピッツを流してしまった。今の部屋にはスピッツのカレンダーが二つもかかっている(2023と2022)し、スピッツのビラも貼ってあるしサインも飾ってあるし、ただのスピッツオタクの部屋であることはおじさんも察したかもしれないよね。部屋を常時きれいに保てる大人の女としてふるまっていたのに、最後おじさんはお湯の確認のため台所の蛇口を開けた。台所のシンクは詰まっていた。排水溝のネットはゴミ捨ての直前に交換したいため、そのままにしておいたのだった。おじさんのひねった蛇口の水が、シンクにどんどんとたまっていった。ああ。
仕事着や仕事で履く靴(今のローファーは中敷きが大変なことになっておりとてもではないが人前では脱げない)などを求めに街に出たが、何も買えなかった。そもそもがそんなもの欲しくもないのであり、私は自分の欲望に大変正直にしか生きられない性格であるため、欲しくもないものは絶対に買いたくないのである。いつかは買わないといけないのだが…仕事に着ていく服を選ぶのは難しくて、私は営業であるため(今週を経てクソ辞めたいと思ってるけど)客前に出られる範囲のフォーマルっぽさは保ちつつ、しかし服が汚れる可能性のある業務柄高いものは着れず、安くてフォーマルっぽくて動きやすい服というのは私の好みから大変かけ離れた服であるため、そんなものに金をできるだけ出したくないと思っている。かわいい服は休日に着たいけど、かわいくない服は買いたくない。とんだわがままである。
なんかそもそも何を着たらいいのかよくわからないし。もやもやする。今日着た服は、私にとってはかわいい服で、昔はそうでさえあれば何も気にすることなく堂々と外を歩いていた。最近、家の中でかわいいと思った服も、外に出て人前に晒すと突然なんだか不格好なものに思えてきて、どんどん心が縮こまっていくのを感じる。それは見た目全般について言えることだ。自分の見た目を人前にさらけ出したくない、さらけ出すのがこわい、人前にある自分の身体はひどく醜く気色の悪いものに思えてくる。どうしてこうなってしまったんだろう。私は小さいころ矯正をしていたけれどそれでもまだそんなに歯並びが整いきってはおらず、そのことについて以前は何も気にしたことがなかったのに、最近はなんだかみんながみんな矯正をして歯並びを完璧に整えていて、信頼している友人が矯正をしたという話を聞いて泣きそうになってしまったことがある。自分が自分であるというだけで、自分自体はなにも変わっていないのに、どんどん社会における美の基準から脱落し「醜いもの」へと変化していっているのを肌で感じている。醜いものにならないためにはたくさんのことを我慢してたくさんのお金を使わなければならず、そうしたくないと思うなら、あるいはそもそもそうできないのであれば、醜いものであることを受け入れなければならないのだ。私はそんなのおかしいと思うのに、それを拒否する自分の身体のことが、気色悪くて醜くて汚くて恥ずかしくて仕方ないと感じてしまう。中途半端だ。「ボディポジティブ」という流行文句と脱毛に関する無数の電車広告が平然と共存する世界に生きていることが、たまにとても苦しい。
最近どんどんネガティブになっているし、文章も支離滅裂になっていくのに、それでもなおこの日記をブログに掲載しようとしているのはなぜなのか。ほんとうは誰かに聞いてほしいと思っている。普通に。私の話を聞いてください。と言いたい。