ひとりごと

つきみおが長文でひとりごとを言います

日記(うまい方に)

9/28 三十三度とのことだが風は秋
代休二日目。昨日休みなのに仕事をしてしまって悔しかったので、今日は社給スマホの電源を切った。午前中は大学院時代から添削のお手伝いをさせていただいている外国人学生(今は学生ではない)の方から久しぶりに添削依頼が来ていたので、それを片付けた。片づけたとかいってしまいたくないくらいその方の研究はおもしろくて、また思考の理路整然さに毎回関心してしまう。こういう人が研究者になるのだ、と思う。私の修論なんて自分でも何を書いているのかよくわからないまま、「この部分はこんなリズムな気がする」みたいな感じで論理を組み立て、自分の書いた文章とテクストに眠ったまま引きずられるようにして書いた結果爆誕したもので、未だに自分が何を書いたのか自分でもよくわかっていないという代物なのであった。残念ながらこの文章からも明らかなように自分は文章がうまくないのだが、しかし文章の違和感をこまこまと追いかけていくのは好きなのであって、いっとき校閲者になりたいと思っていたこともあった(普通に無理だと悟った)。少なくとも、営業よりはそういう仕事の方が向いているんだろうと思う。でも、日本語にしろ外国語にしろ、それを商売道具にするほどの能力は持ち合わせていない。ああでも営業って本当に向いてないと思う。この営業の仕事を続けていたらいつか私がやりたかったことが実現しそうで、だからなかなか手放せないし、自分に自信がないからきっと今よりいい条件で雇ってくれるところなんてないと思うし、今の会社は営業手当と営業であるが故の残業があるからギリギリ許せなくもない給料をもらっているけど営業職じゃなくなったら到底許容できない賃金なので職種も変えたくないけど、営業に向いていない。人に対峙することに向いていない。そんなこと言うと「自分も営業には向いてないよ」とか「向いてるとか向いてないとかじゃないから」とか言われて傷ついて終わるだけだとこの二年で学んだから言わないけど、一生この職種でやっていく未来が見えない。人が嫌だ。人に対峙するのがつらい…。
ダメだ文章を書いているとつい思考が脱線する。今日はお昼にセブンのガパオライスを食べておいしかった。意外と自分でも作れそうだということがわかったので、いつかチャレンジしてみようかなと思う。こまこまとした事務作業を片付けて、午後からはここ最近なかなかはかどらなかった本を読んだ。相変わらずギケイキが読み終っていなかったのは、短い通勤時間や昼休みの昼寝前の短時間にしか読めていなかったからで、というのもこれは勢いをつけていっきに読むべき本だったのだ。ギケイキの町田康の文体の中では、会話文に差しはさまれる会話の相手のツッコミが多すぎるのではないかというのが引っかかりポイントだったのだが、解説で義経記が成立した時代には語り部がこれを語っていたのであり、つまり聴衆は物語に茶々を入れ、語り部は聴衆の反応を見ながらアドリブのように話を展開するというインタラクティブな場で語られていたのだということを知り、なるほど思えば落語にも(同じか?)こういったツッコミのやり取りはよくあるような気がするし(あんまり聞いたことないけど)、これは「古典の語り」のひとつの型のようなものなのかもしれないと納得した。目で読むというよりも耳で聞く物語として成立したのであれば、これはやはりスピード勝負で一気に読み切るというのが適切な読み方であるような気がする。事実、細切れに読んでいたときには正直イマイチかもと思っていたのが、今日一気に読むと思いがけず引き込まれてしまい、するんと読了できてしまった。たぶん読まないけど、原作の義経記とどこがどう違うのか、照らし合わせてみたいとは思った(江戸太郎君が殺されるのを阻止するためにみんなで船や資材を調達して渡し舟を作ったくだりなどは実際に出てくるのだろうか??)。小川洋子の『物語の役割』を読み始める。そろそろ小説期間は終わりな気がしている。
最近なんだか食欲が止まらない。いや、とはいえ爆食いしている訳ではないのだけど、なんだかよくない感じがする。ストレスが溜まっていると自分でもわかる。残業代は欲しいけど、さすがにこんなに毎日残業していたら死んでしまう。自分の心身の健康を守れるのは自分だけだと言い聞かせる。
そういえば、ラグを注文しました。届くのが楽しみ。人生がうまいほうにいくといいよね、少しでも。上にいかなくていいから、うまいほうにいくといい。