ひとりごと

つきみおが長文でひとりごとを言います

日記(怠惰な休日、夕焼け、マサムネさん)

9/3
今日は怠惰な休日にすると決めていたので、11時前くらいに起き出してできるかぎりのろのろとした動きで過ごした。件の月餅を朝食べてみたところ壊滅的にコーヒーとの相性が悪く(ちょっと想像すればわかることだ)、寝起きの脳みそでは処理できない味であったので半分で取りやめにして代わりに半額になっていた超熟ライ麦パンを一枚かじるなどした。食パンが高い。うちの近所のクソスーパーは本当にクソなので多分他の地域のスーパーより高くて、最近はもう160円以上出さないと食パンが買えない。割引シールハンターになるしかない。私が大学生になりたての頃、超熟は140円出せば買えたし、豚肉は100g100円くらいで買えたし、冷凍唐揚げは200円くらいだったしコーヒー粉は300円以下だったのに、みるみるうちに恐ろしいスピードで全てが高くなり、ああ社会はこんなにも急速に貧しくなるのだと衝撃を受けている。ギリギリセーフで大学に入りギリギリセーフで留学しギリギリセーフで大学院を卒業した、私の老後はギリギリアウトなんだろうと思う。こんなことを言いたくはないが、自分に結婚願望がなくてよかったと思う。結婚したいと思っていたら、苦しい世の中だっただろう。景気が悪いと心も暗いね。よくないね。オラッ私の節約術を見せてやろうじゃねえの!くらい思ってないと。
たらたらと洗濯をして、たらたらと部屋を整理して、たらたらと昨日の日記を書いて、もそもそと本を読んだ。川上弘美を読み終わった。あまりなにも考えずに読んだ。こんなことを言っては失礼だしただの言い訳じみているが、川上弘美の文章からは考えることを麻痺させる物質が出ているというか、ただひたすら素直に文章に身を委ねていればそれでもう勝手に心に何かが染み込んでいくというような文章であると思っている。本当はもっと色々と考えることもできるのだろうが、まあ私は別に川上弘美を研究しているわけでもないしというか何かを研究しているわけではないため、こうやって適当な読み方をしてももう誰も怒らないんだよ、と思う。好きな文章を抜粋しておく。
「突然、竹雄とずっと前から一緒にいたような気分になった。昔も今もその間も、竹雄と離れたことなどなかったような気分になった。それは贋の気分だったが、球場の空の明るさが、贋のぺらぺらした安楽な気分を引き寄せた。」(p.89)
「その人のことをものすごく愛してものすごく信じているとね、その人のことが見えなくなっちゃうの、自分も見えなくなっちゃうの、それでね、二人の周りの空気だけがゆらゆらしてて、空気が揺れてるから自分が在ることがわずかにわかるんだけど、そのうち空気もなにもかもどうでもよくなっちゃって、なにも感じられなくなって、小さな粒子みたいなものがそこにいっぱいあるだけになって、それで。」(p.66)
「まったくもう、困った、でもいい人だねこの人は」(p.110)
「ガラスの靴をはいてこつこつと部屋の中を歩いていると、とてつもなくさみしくなってくるの。(…)章子は蕎麦湯を見つめながら言った。ガラスの靴をはいて歩いている章子の姿を僕は思いうかべた。ガラスの靴をはいた小さな章子の足。その足の上にのびるほっそりとしたすね。すねに続く、こちらはあんがいたっぷりとしたふともも。僕はほんの少し欲情した。」(p.170-171)
「トウキョウタワーがきれいです。近くに行くとあんなにぼろぼろなのに。遠くのものはふしぎ。ふしぎでこわい。」(p.201)
「歌の音はふしぎ。遠くからきたような音です。自分のなかに、遠くのものがあるのは、ふしぎ。」(p.202)
などなど。
堀江敏幸の『雪沼とその周辺』を読み始める。
スーパーで安い食材ハンティングをして、そのくせ家に帰ると無意味にお菓子をつまむ。家にいると無意味に何かを食べてしまうし、自分の輪郭がぼやぼやとしてきてふっと倒れてしまいそうな気持ちになる。あまり過ごし方としては上手くないことかもしれないけど、残念ながらこのレベルまで何もしない時間というのが私には必要なのだ…でももう少し上手いこと休めるようにはなりたい。
この町(とすら言えない建物があるだけの場所)は本当に何にもなくて本当にろくでもないなと思っているのだが、それでも引越しに踏み切れない理由はいくつかある。そのひとつが、部屋から眺める夕暮れがとても美しいということである。川沿い北西向きの部屋であるため、夕方にだけ、夕方の色の光が部屋にゆっくりと入ってくる。それがとても好きで、夕方が始まったなと思うと今日のような家で過ごす日には窓辺に移動して本を読んだり音楽を聴いたりなどする。捨てられないなあと思う。
夜はカチャトゥーラのようなものを作り、ロック大陸を漫遊した。マサムネさんがス箱に戻ってくる。いなくなった人が戻ってきてくれたということにとてつもなく安心して、性的な意味肉体的な意味恋愛的な意味などを抜きにして、抱きしめたい気持ちになる。よかった。戻ってきてくれるということが、また会えると言ってくれることが、再会を待てるということが、永遠に続くわけではないと知っているけれど、いつか永遠に戻ってきてくれなくなる日が来るのだと知っているけれど(あるいは私が永遠に戻ってこなくなる方が先ということもありうる)、もう少し、まだ一緒にいて欲しいと思う。いつかいなくなった日に味わう絶望の強さが今の好きな気持ちの強さに比例するのだとしても、まだ好きでいようと思う。縁起でもないよほんと。でもみんな生きてるんだもの。

追記
ちなみに、月餅は温かい烏龍茶と一緒に食べたら結構美味しくて、最初からこうすりゃよかったよと思った。