ひとりごと

つきみおが長文でひとりごとを言います

日記(ひさしぶりに)

10/30
ひと段落したのかよくわからない上に特に何も好転したわけではないけど、とりあえず仕事が一区切りした。昨日と今日はお休み。お出かけしようかとも思ったけど、とりあえず体力を回復して無駄な刺激を自分に与えないようにしようと思い、家にいることにした。今週末はお出かけするからね。
29日はスピッツを聴きながらスピッツの歌詞について書き溜めてたものを一旦まとめて放出してみた。書いてから文章が下手すぎるし口調がバラバラすぎるし言ってることも支離滅裂な気がする…と思いつつ、でもこの3年くらい?スピッツを聴くようになってからずっと考えていたことの一部を文章化しておけたのはよかったと思う。
スピッツについて考えることは同時に自分について考えることであったり自分の考え方について考えることであったりして、スピッツを鏡に自分のことを縁取りながら、少しずつずらしていくような営みになっている。だからスピッツのことが好きだというのは割とエゴな感情でもあり、スピッツに支えられると同時にスピッツのことが好きだという自分の気持ちが支えにもなっていて、別に生きていけないような大きな不幸を抱えているわけではないけど、スピッツのおかげで私は私のまま生きていけるなあという気持ちになる。スピッツのことが好き。考えさせてくれて、守ってくれて、支えてくれて、でもすんでのところで境界を越えることはできない、私が求めていた他者そのものであるという気がする。
ふと、草野正宗という全く知らない赤の他人が書いた言葉をこんなふうにほじくり返してあーだこーだ言い続け神託のように崇めている自分のことが奇妙になる。確かにこれまでにも一応人の書いた言葉について執拗に考えこねくりまわしてきたことはあったけど、それは皆もうとっくに死んでいる人たちの言葉で、ただでさえ他人が生きているという実感をイマイチ持てない私(つまりまだ子供だということか?)は、見ず知らずのとっくに死んでいる人が生身の人間であるという感覚などなおさら持てず、したがって言葉は言葉であったので、なんか生きててちょっと雑談とかも聞けちゃって普通に肉眼で直接見ることのできる人間が言ってる言葉をこんな風に扱っていいのかな…と思う(一文が関係代名詞で繋げ続ける欧米言語並みに長いね)。
私が草野マサムネと生身の人間として直接関わることなど決してないのだから、それはほとんどもう故人のテクストと同じことなのではと思うと同時に、そうともいいきれない別の関わりがあるような気もして、生身のアーティスト(アーティストが生身でなかったことなど本当はないのだが)を好きになるということの難しさを感じる。このことについて考え始めると危険な香りがするので、みてみぬふりをする。生きている他人って、何?


武道館が楽しみ。まだまだ生きるよ。


夜はジャガイモと厚揚げのひき肉あんかけ(冷凍庫の奥で萎びていたキノコ入り)を作った。まあまあ美味しい。私は毎日は無理でも料理するのが楽しいし、自分の作った料理が結構好きだけど、これを人に食べさせられるのかというとちょっと難しい気がする。人に美味しいと言ってもらえるのはとても嬉しいことだろうけど、美味しい料理を人に作るのめんどくさいじゃん?美味しい料理を作ってあげようと思える他人に出会える日は来るのか。姉が近々恋人と同棲を開始するらしい。突然置いて行かれた気持ちになって理不尽に落ち込んだりする。普通に人と付き合おうと思える人が羨ましくないと言ったら嘘になる。人と一緒に住もうと思える人が羨ましくて、もう姉の家に泊まったりできないんだと思ったらさびしくて、そのうち帰省して昔の四人家族に戻ったりもできなくなるんだと思ったらなんか悲しかった。何事も変わっていくんだなあと思った。
セクシー田中さんのドラマを観た。三好さんの言葉に救われた田中さんに泣いた。そういう言葉ってあるよね。


今日(30日)はいいお天気です。引っ越しを考えなくもないけど、部屋から見える広い空が好きで、踏み切れない。クライバーのCDセットから椿姫をセレクトして聴いたりしつつ、最近していなかった読書をした(チョイスするではなくセレクトすると言いたいのは草野マサムネのせい)。せめて読書ができるくらいの余裕がある生活がいい。養老孟司の『身体巡礼』を読み終わった。私はこれまで、日本の方がヨーロッパよりも彼岸と此岸の境目が緩やかで、墓と生活が共存していると思って生きていたので、それと真逆のことが言われていたのが一番びっくりした。確かに戒名も火葬もお盆も、死者と生者の区別か。ユダヤ教のお墓は壊してはいけない、ユダヤ教では死者は死んでも共同体の一員のままである(し、まだ救世主は訪れていないのでなんなら死んでもいない)という話もふぅんおもしろと思った。Wの冒頭でペレックが言っていたことのイメージがよぎったりした。
風景の中に突然現れるお墓を見るのが実は好きである。でもローマでカプチン派の骸骨寺に行った以外、国外でお墓に該当するようなところに行ったことはない。あまり怖いという感じはしなかったし、なんなら少し安心感のある空間だった記憶がある。よくわからないけど、日本のお墓も、見ていると少し安心する。
別の本を読み始め、読みながらベッドに転がってうとうとした。昨日何食べたの影響でカルボナーラが食べたくなり、お昼は冷凍パスタにした。
先週、私の書いた文章を私が書いたとは知らない人が褒めているのを聞いて嬉しかった。修論を書いていたときも、結局一番嬉しかったのは完成した論文を面白かった、よく文章にできていると褒めてもらえたときだった。自分の書いた文章について言及してもらえるのが好きならしい。もっと文章が上手になりたいな。