ひとりごと

つきみおが長文でひとりごとを言います

日記(メイクってすごいよな)

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最近「今日は映画を観た、おもろくない」とか「一日中ニットの毛玉を取り続けていた」とか短文で支離滅裂な日記ばかり書いててアップできなかったんだけどひさしぶりに長いやつを書いた。


婦人科にホルモン検査の結果を聞きに行った。ホルモンバランスに異常はありませんと言われた。じゃあなんでこんなにニキビができるの?ホルモンバランスに異常があるからこんなにニキビだらけになっちゃったんだと思うことで、ピルを飲めばきっと治ると思うことで前向きになれていたのに、違うと言われて泣きそうになってしまった。一生このままニキビが増殖し続けて顔がボロボロになって素肌を晒すのを恐れたまま生きていくのか。鏡を見るたび頬の斑点に自尊心を削り取られないといけないのか。当たり前だけど皮膚科の先生も婦人科の先生もニキビの治療の話はしてくれても「ニキビがあってつらい」という話は聞いてくれなくて、悲しくて、メイク売り場に行った。見た目の悲しみは見た目の喜びでしか埋められない…。メイク売り場にはちゃんと目的があって、今年はもっと明るい感じになりたいなと思って(というか暗い服に暗いメイクで顔がどんよりするのに飽きた、どんより生きることに飽きてきた)、明るいピンクのアイシャドウを探すというのがそれなのだった。狙っていたのはルナソルアディクション、RMK、セルヴォークあたりだったので、そのうち婦人科の最寄り駅付近にあったルナソル含むカネボウのブースに行ってタッチアップをしてもらった。結果的にピンクのアイシャドウに気に入ったものはなかったのだけど、BAさんがとても元気なご夫人で、スキンケアにお悩みありますかと聞かれ「ニキビがやばくて〜笑」と答えたところ、コンシーラーで隠すとヨレた時汚くなっちゃう、こんなもんファンデーションで隠せばいいのヨォ!やってあげるわね!!とマジでファンデーションだけで信じられないくらい綺麗にニキビ跡をカバーしてくれた。とはいえまあ透けて見えるのだけど、これぐらいで大丈夫よと強く言ってもらったことでなんだかすごく救われた。正直アイシャドウパレットとファンデーションを買ってしまうと月内の予算がピンチになるので、予定になかった買い物は一旦持ち帰って考えたいと思い何も買わずに出てきてしまったのは我ながら最悪な客だと分かってはいるのだけど、でもコンシーラーで隠す方法を教えてもらうことはあってもファンデーションだけで大丈夫!と言ってもらえたことはなくて、嬉しかった。カネボウのリキッドファンデーション、ちゃんと覚えておきます。そのあと別の駅でAddictionの新作桜餅アイシャドウとVintage Tutuを試したけどあんまり似合わなくて、RMKの05を試しに行ったらハハッこりゃいけるわ笑という感じの仕上がりになった。もう全然、青みじゃなくて黄味のピンクが似合うということが歴然とわかった。かわいい〜!!!めちゃくちゃ顔が明るくなる。幸せです!って顔になる。スピッツの曲で言うと普段の私のメイクが甘い手だとしたらRMK05は君は太陽くらいの差がある(うまいたとえではない)(今年一番最初に聴いたスピッツの曲は君は太陽でした)。あとBAのお姉さんが大変可愛らしかった。あのお姉さんのところでRMKのものは全部買いたい…と思った。ピンクのアイシャドウとしてはセルヴォークの07がかなり有力候補だったのでこちらもタッチアップして比較させてもらった。ていうか東京大丸のコスメ売り場なんだけど、ここのセルヴォークのBAさんで一人すごく丁寧にやってくれる方がいて、いつもその人のところで買い物をしてしまう。07はつけてみると本当にオシャレで、パキッとした攻めのピンクとレッドブラウンのコントラストがめちゃくちゃかっこよくてかわいいのにとてもセンシュアル。スピッツで言うとスーベニアみたいな雰囲気(優しくなりたいなと甘ったれクリーチャーが共存してるアルバム的な?まぶたが桜色に染まるし)。まじで決まらん。両方欲しい。ホクホクしながら帰宅した。あと、そう、指輪を買った。薄紫色の綺麗なかけらの指輪。紫の夜を越えてが思い出されるような綺麗な指輪。スピッツが好きだーと思いながら買ったので、私のスピッツに対する様々な念をこの指輪に吸いこませて(?)スピッツのことを思い出せる指輪にしようと思う。こういうの、小学生の頃から変わらず好きというか、概念が好きなオタクにありがちな気がするけど(イメージ香水とか)ちょっと恥ずかしい。でも好きだから…。
笑えるくらいちょっとしたことですぐにセンシティブになって、ちょっとしたことですぐに浮上する。「ヒステリックな女」のことを揶揄する言説は飽きるほど見てきたけど、私はまさにその「ヒステリックな女」なんだろうなあと思う。揶揄されるもの、笑われるもの、批判されるものを見て「それは私だ」と思ったり「それは私だったかもしれない」と思ったりする人間はSNSに向いていないと思う。そんな馬鹿げた思慮に欠ける言説を山ほどSNSで浴び続けてる時間があったら、それをねじ伏せてくれるようなもっとよく鍛えられた力のある言説に触れることはできるのになあ。