ひとりごと

つきみおが長文でひとりごとを言います

日記(モテそうな上司、あずきバーの気持ち、インタビュー)

8/25 これはもしかして秋?なんて思ってしまう晴れ、やはり暑い
 
あーもー疲れた!疲れた〜つかれた、疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた!!!つかれた!!つかれたんだよ私つかれた!!!なんて、疲れた。今日一日考えていたことと言えば「今日なんも考えてねえな」ということだけであった。業務の質問に答えてくれていたお茶目な上司がやや芝居がかっていると言ってもよいくらいのあざとさで「内緒だよ?」と言ってきたので、私はこの人はすごく変な人だけどすごくモテただろうなあと思ったが、私の男性を見る目はゴミなので別にモテたりはしていなかったかもしれない、なんて失礼なんだ私というやつは。多分この人はモテただろう、物腰が柔らかくお茶目で責任感もあり、ざっくばらんな男くささもありながら見た目はとても愛くるしい。なんの話をしているんだろうな私は一体。
残業前にコンビニに行った時は確かにあずきバーがとても食べたかったはずで、こんなにもあずきバーが心にしっくりとくる日もあるまいという気持ちだったのに、帰り道であずきバーを買おうとすると全然そのときのあずきバーの気持ちが思い出せないのだった。一体どれだけの物事とこうしてすれ違いながら生きてきたのだろうか。そしてそのような中で、まさに私がそれにしっくりとくる気持ちの時に現れた物事というのが確かにあって、これを出会いと言わずになんと言おうか。
72hに出ていたアフガニスタンの人が「人間は希望がなければ生きて行けない」と言った。私はそんなことを人生で実感したことはそれほどなかったが、それは単純に私が自分で意識できないほど当然のように日々たくさんの希望に恵まれて生きているからだろうと思った。当然のように明日もその先も私を雇ってくれる会社があり、当然のように住む家があり、当然のように週末の予定を考え、当然のように娯楽に囲まれ当然のように明日もその先も生きていくと思っている人間に、希望なんて見えないんだろうな。
今日読んだシーンで「ペットボトルを見つめているうちにペットボトルに惹かれてしまう」というのがあって、ペットボトルに恋をしてしまうことと人間に恋をしてしまうことの間になんの違いがあるだろうと思った。それでいいのだ、恋なんてしないとしても。金原ひとみの話ばかりして申し訳ない(だれに?)が、東京新聞だかのインタビューで「小説は間違っていることを正しい言葉で書くことができる」と言っていて、ああそうだそれだと思ったので書いておく。正しいことを正しい言葉で語ることの正しさから溢れてしまうこと、それがずっと苦しかった。スピッツもたぶん、間違っていることを正しい言葉で語ってくれた人なのだ私にとって。