ひとりごと

つきみおが長文でひとりごとを言います

とりとめのない日記

9/12

ここのところブログに載せるほどでもない日記あるいはブログに載せるには個人的すぎる日記などを書いていたが、こういうとあたかもブログに載せているのはブログに載せるに値する日記であると言っているかのようである。それはさておき、人に聞いてほしいと思うから書いていることはたしかで、ただ聞いてほしいのか本当に?という気持ちが、ここのところWordやTwitterを開くたびに顔をのぞかせる。いやそれって今更?やっとおとなになったということか?

可もなく不可もない一週間。ギスギスしていた後輩くんと和解した。後輩を持つって難しい。まだ全然何もできないポンコツ社員なのに、後輩に何を教えられるというのか。自分の気の利かなさにがっかりするし、自信は失うし不安になるし、去年先輩がいなくなって業務を全部一人でやることになったときよりよほどメンタルにきている。後輩のせいではなく。ここ数ヶ月ぼんやりと転職したいなと思っているが、それがなぜなのかも、正しい感覚なのかもよくわからない。営業に向いていないのはわかっているけど、私は恐ろしく不注意で鈍間なので、事務職のような細かな仕事をテキパキ回していく職もできないと思う。私に向いている仕事なんてあるわけないけど、せめて解雇されないクオリティで仕事をしないと。悲しくなってきちゃった。何ができるんだろう、私。

暗。普通に買ったら一万近くするフランス語の教材をメルカリで4500円で売ってもらった。ラッキーすぎる。教材って必要だなと思った。最近読んだり聞いたりするばかりで教材にあたるということがなかったから。

秋が来ると思ったのに、来ない。34度の気温の中を「だけど風は涼しいよね」と言い聞かせながら歩く。

先日、本屋を1時間ほど彷徨い、全く予定になかったハーメルンの笛吹き男の本(Twitterでおすすめされていた)とパンセを買った。昔自省録を読んで「うわーーこーいうのもっと読みたい!!」と思って以来、「こーいうの」であると思われる本を少しずつ読んでいくのが自分の中のプロジェクトになっており、パンセはその一環である。この秋はとりあえずこれを読むことにする。パスカルは息をするようにモンテーニュを引用しながら持論を展開しまくっており、不謹慎(?)にもその身振りは私がスピッツを念頭に置いて発言するときのそれと似てるなと思ってしまった。似てないわ。とはいえ、人は必ず何かを無意識に念頭に置いて発言しているのであって、その何かを知るのは楽しいことであると思う。それに、セネカを引くモンテーニュや、モンテーニュを引くパスカルを読むと、一つの本を誰かと一緒に読んでいるようで楽しい。

モンテーニュって、めっちゃ仕事できただろうな。仕事できるやつの雰囲気漂ってる。

ハーメルンの方は、びっくりするくらいおもしろかったので、はやくも阿部謹也の他の中世ヨーロッパ史の本を読みたくてうずうずしている。

同じ場所にずっと居続けることが性に合わないのに、移動するためにかかるコストが年々増大してゆく。金銭的にも体力的にも社会的にも精神的にも、である。せめて、読む本のジャンルやコンテンツやTwitterのアカウントの間を移動することで、ひと所にとどまりたくないという気持ちを宥めている。