ひとりごと

つきみおが長文でひとりごとを言います

日記(ご自愛、月餅、サマーカード)

8/30 むんわりとした空気、晴れ

あまりにも脳みそが回らなすぎて何もしていないのに疲労しているしぼんやりとしているしもうどうしよう無理だなあと思っていたらめちゃくちゃに遅れまくっていた月一のやつが来て、あーね、あー、ね。うんうん、おけ、わかった。しゃーない。でもしゃーない、これが原因だと言い切れるならまだよくて私は年がら年中倦怠感と疲労感に見舞われて生きているので、無理せずと言われても無理せずに生きていることは不可能なんですよねと言いたくもなる。まあもっと無理して生きている人たちはたくさんいるのだろうが。そんな中でもなんとなく今日は無理だなと思ったらちょっと自分を労るということを考えられるようにはなってきて、それが果たして効果を発揮しているかは不明ではあるものの、いつか上手にご自愛する方法を習得できればいいなあと思っている。

会社の人から中国の月餅をいただく。チョコとカスタードと普通のどれがいいと聞かれて普通のがいいですと答えたら、私の知る月餅より二回りくらい大きなどっしりとした月餅を渡され、中には蓮の実の餡とあひるの卵が入っているのだと言われた。はすのみのあんとあひるのたまご?はすのみのあんと、あひるのたまご。え、あひる?ふぅん……ほお。どんな味がするのか皆目検討もつかないが私の知る月餅のそれではないことだけは確かである。なにしろものすごく重いため、お腹が空いている休日などに食すことにする。本当は中秋まで待った方がよいのだろうが、好奇心に勝てないので次のお腹が空いた休日にいただくことにする。
帰宅すると今日こそスピッツからサマーカードが届いていた。さきちゃんの顔がいつもと違くてびっくりした。さきちゃんという人はカメラを向けられると同じ顔しかできない人なのだと勝手に思っていた。私はさきちゃんのことを何も知らないが、おそらく顔を作ろうとするとあのいつもの口をきゅっと一文字に結んだ顔になってしまうのだと勝手に思っているので、今回のサマーカードの顔は隙のある瞬間の顔なのだと勝手に想像する。よくよく見るとマサムネさんがニットカーディガンを着ていることにもびっくりした。サマー…サマー…?夏服として長袖のニットを購入した私の言えたことではないが、それはひょっとするともしかして春秋のお洋服だったりするかも、しれませんね。夏に着てはいけないことなど何もないけれども、あえてこのサマーカードの撮影衣装として長袖カーディガンをチョイスしたその理由については純粋に聞いてみたいと思う。いいと思います。私はスピッツのことが本当に大好きだが、カレンダーを見てもこうしたポストカードなどを見ても、やはりこれは普通のおじさんたちであるなあと思う。その演奏しているとき以外は普通のおじさんたちが、花をもったりポーズを取ったりしてこちらを見つめている。私はそのただのおじさん達を見てぽぽぽと思う。恋のようなきもちになってくる。そのことがなんとなく恥ずかしくまたこそばゆくて、今度はなんだかキモいきもちになってくる。キモいきもちというのはたぶん気持ち悪くて気持ちのいいきもちのことであって、何かを好きであるということはこのキモさを抜きにしては考えられないのではないだろうか。何かを好きであるということは恥ずかしいことであってほしいと思う。褒められることでも肯定されることでも役に立つことでももてはやされることでもなく、何かが好きであるということはキモいことであってほしい。恥ずかしくて人に言いだせないくらい、この人たちのことが好きでありたい。